概要
1971年7月20日、東京の銀座の三越の一階に、マクドナルドの日本での一号店が開いた。ハンバーガーは一つ80円。日本の会社を興した藤田田は、流行は銀座から始まると考え、郊外から店を開くよう勧めるアメリカ本社の言い分を退けた。歩行者天国になった銀座の通りで、若者たちは立ったままハンバーガーを食べた。立って物を食べるのは行儀が悪いとされていた時代である。藤田は、日本人も肉とパンを食べ続ければ体つきが変わる、と冗談めかして語っている。ハンバーガーは、米の飯に代わる手軽な食事の一つになった。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
マクドナルドは、1955年、レイ・クロックがフランチャイズの権利を得て、アメリカ全土に店を増やしていた(マクドナルドの流れ作業)。1970年、日本で店を開く相手として選ばれたのが、東京で輸入の雑貨を扱っていた藤田田である。藤田は東大の学生のころ、占領軍の通訳のアルバイトをして、アメリカの人々の暮らしを見ていた。
アメリカの本社は、アメリカと同じように、郊外の車で来る客を狙って店を開くよう求めた。藤田はこれを退けた。日本では流行は銀座から始まる、と考えたのである。1971年7月20日、銀座の三越の一階の、わずかな広さの売り場に、日本の一号店を開いた。ハンバーガーは一つ80円だった。
前の年から、銀座の中央通りは、休日に車を締め出して人が歩ける「歩行者天国」になっていた。若者たちは、紙に包まれたハンバーガーを手に、通りを歩きながら食べた。立ったまま、歩きながら物を食べるのは、行儀が悪いとされていた時代である。その姿が新しかった。
藤田は、日本人も肉とパンを食べ続ければ体つきが変わる、と冗談めかして語っている。日本マクドナルドは店を増やし続け、1980年代には外食で売上が日本一の会社になる。ハンバーガーは、若者の手軽な食事になり、米の飯を食べない昼食も当たり前になった。一方で、ハンバーガーの値段を大きく下げては上げる、藤田らしい大胆な値付けは、2000年ごろの「デフレ」の象徴としても語られた。