概要
1762年、ジャン=ジャック・ルソーは、架空の少年エミールを家庭教師が育てていく物語の形で、教育の本を出した。子どもは小さな大人ではなく、子どもには子どもの見方、考え方、感じ方がある。大人の知識を早くから詰め込まず、自然の中で、自分の体と感覚で学ばせよ。そう説いたこの本は、宗教を論じた部分がとがめられてパリの高等法院に焼かれ、ルソーは逮捕を逃れて国を出た。だが本は広く読まれ、ペスタロッチやフレーベルの教育を通じて、子ども時代を人生の特別な時期と見る考えを育てた。ルソー自身は、自分の5人の子をみな孤児院に預けていた。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
関わった人(1)
ジャン=ジャック・ルソーAD1712年6月28日–AD1778年7月2日 · 書いた本文
18世紀のヨーロッパでは、子どもは、まだ出来上がっていない小さな大人とみなされることが多かった。上流の家では、赤ん坊は田舎の乳母に預けられ、布できつく巻かれて動けないようにされた。少し大きくなれば、大人と同じ服を着せられ、ラテン語の文法と礼儀作法を、鞭を使って叩き込まれた。
ジャン=ジャック・ルソーは、ジュネーヴの時計職人の家に生まれ、母は彼を産んで間もなく亡くなった。正規の教育をほとんど受けず、各地を放浪しながら独学した。1762年、彼は『社会契約論』と同じ年に、『エミール、または教育について』を出した。架空の少年エミールが、生まれてから結婚するまで、一人の家庭教師に育てられていく物語の形をとっている。
ルソーは冒頭で、万物を作る者の手を離れるときすべては善いが、人の手に移るとすべてが悪くなると書いた。子どもには子ども特有の見方、考え方、感じ方があり、それを大人のものに置き換えようとするほど愚かなことはない。赤ん坊を布で縛らず、母が自分の乳で育てよ。12歳ごろまでは本を読ませず、体と感覚を鍛え、自分で物事にぶつかって学ばせよ。罰の代わりに、自分の行いの自然な結果を味わわせよ。知識を教えるより、知識を得たいという気持ちを育てよ、と説いた。
本の中の「サヴォワの助任司祭の信仰告白」と呼ばれる部分は、教会の教えに頼らず、自分の良心と自然の中に神を見いだす信仰を語っていた。パリの高等法院はこの本を焼くよう命じ、ルソーに逮捕の令状を出した。ルソーはスイスへ逃れたが、ジュネーヴでもこの本は焼かれた。
それでも『エミール』はヨーロッパ中で読まれた。上流の母親たちが自分の乳で子を育て始め、子どもの服はゆったりしたものになったといわれる。スイスの教育者ペスタロッチや、幼稚園を作ったフレーベル(フレーベルと幼稚園)は、ルソーの考えを実際の教育に移した。子ども時代を、それ自体に価値のある人生の特別な時期と見る見方は、ここから大きく広がった。ただ、ルソー自身は、生まれた5人の子を、育てられないとしてみなパリの孤児院に預けており、のちにそれを責められ、悔やむ文章を残している。