概要
一つの国の全土を、三角測量で測って地図にする。世界で最初の試みである。カシニ家が四代、およそ80年をかけた。基線を精密に測り、そこから三角形を連ねて、全国に骨組みを張る。結果は、意外なものだった。フランスは、それまで思われていたより小さかった。ルイ14世が「私は、敵に奪われたより多くの領土を、あなた方の測量に奪われた」と言ったと伝えられる。革命政府がこの図を接収し、軍が使い、そして各国が真似た。国家が自国の形を正確に知る、最初の道具になった。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
**問題**。
17世紀まで、**地図は、正確ではなかった**。
(海岸線は、航海の経験から、比較的よく描けた。
**内陸が、駄目だった**。
——距離は、旅の日数と、地元の聞き取りによる。角度は、目分量である。
そして、**経度が、測れない**。)
**測量**。
**三角測量**。
原理——**一辺の長さを、精密に測る**(基線)。
そこから、**他の点への角度を測る**。
三角形の一辺と二つの角が分かれば、**残りの辺の長さが、計算できる**。
そして、その辺を新しい基線にして、**次の三角形を作る**。
(**距離を測るのは、最初の一回だけである**。あとは、**角度だけ**を測っていく。
——**長い距離を、正確に測る、唯一の方法だった**。)
(原理は、16世紀の**ゲンマ・フリシウス**(1533年)と、**ティコ・ブラーエ**、そして17世紀の**スネル**(オランダ、1615年)が確立した。)
**カシニ家**。
**四代**、**約80年**にわたって、この事業を続けた。
**(1)ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニ**(ジャン=ドミニク、1625〜1712)。
イタリア生まれ。ボローニャ大学の天文学教授。
**1669年**、ルイ14世に招かれ、パリ天文台の初代の実質的な責任者になった。
(フランスに帰化した。以後、家系はフランス人である。)
彼の業績——土星の環の隙間(**カッシーニの間隙**)、木星の大赤斑の観測、そして**木星の衛星の食を使った経度の測定**。
**(2)ジャック・カッシーニ**(1677〜1756)。
**(3)セザール=フランソワ・カッシーニ・ド・チュリー**(1714〜84)。
**この人が、全国の地図の事業を始めた**。
**(4)ジャン=ドミニク・カッシーニ**(1748〜1845)。**完成させた**。
**縮んだフランス**。
**1679〜82年**、初代カッシーニらが、**フランスの海岸線と主要な地点の位置**を、新しい方法で測り直した。
**結果**——
**フランスは、それまでの地図より、小さかった**。
(特に、**西海岸**が。ブレストの経度が、大きくずれていた。
——面積にして、**数万平方キロメートル**の差である。)
**ルイ14世の言葉として、伝えられているもの**。
「**あなた方の旅は、私に、私の全ての敵が奪ったより多くの領土を、失わせた**」。
("Votre voyage m'a coûté une bonne partie de mon État."
〈この発言の史料的な裏づけは、確実ではない。しかし、17世紀末から繰り返し語られている。〉)
**全国の地図**。
**1744年**、三代目カッシーニが、**フランス全土の三角測量網**を完成させた。
そして、**その骨組みの上に、地形と、村と、道と、森を描き込む**事業に着手した。
**カルト・ド・カシニ**(Carte de Cassini)。
- **縮尺 1:86,400**(1リーニュ = 100トワーズ)。 - **182枚**の図に分割。 - **完成まで、さらに数十年**。
**資金**。
**1756年**、七年戦争が始まり、**国家の資金が止まった**。
三代目カッシーニは、**株式会社を作った**。
(出資者を募り、地図の販売の収益を分配する。
——**国家事業を、民間の資金で続けた**。当時としては、異例である。)
**内容**。
図に描かれたもの——
- 村、町、教会(**尖塔の形まで描き分けた**。三角測量の目標点になるから) - **風車と水車** - **修道院** - 道、川、橋、森、沼 - そして、**絞首台**
(——**極めて詳細である**。ある地方の図を見れば、当時の集落の分布と、経済の姿が、そのまま読める。
**現在も、歴史地理学と、考古学の史料として使われている**。〈フランス国立地理院が、全図を電子化して公開している。〉)
**革命**。
**1793年**、**革命政府が、この地図を接収した**。
(**軍事上の機密**である。
カシニ家は、王室と結びついていた。四代目カッシーニは投獄され、七か月後に釈放された。彼は、以後、公職から退いた。)
**そして、軍が、使った**。
(**ナポレオンの遠征に、この地図が使われた**。
——彼は、**自国の正確な地図を持つ、最初の軍隊**を率いた。)
**その後**。
- **各国が、真似た**。
(イギリス——**陸地測量部**(Ordnance Survey)。1791年設立。
〈**名前に注目**。「Ordnance」は**兵器**である。**スコットランドの反乱の後、軍事のために始まった**測量である。
そして、いまもイギリスの公式の地図製作機関である。〉
ドイツ、オーストリア、ロシア、そして——**日本**。)
- **日本**——**伊能忠敬**(1800〜1816)。
(彼の測量は、三角測量ではなく、**導線法**(歩測と方位)を主とし、天体観測で緯度を確かめる方法である。
**それでも、驚くべき精度に達した**。誤差は、緯度でほぼ問題なく、全体の形状も極めて正確だった。
〈経度には、ずれがある。当時、正確な時計がなかったためである。〉)
- そして、**メートル法**(1795年)。
(**同じ測量の技術が、単位の定義にも使われた**。ドランブルとメシャンの子午線の測量。)
**意味**。
**国家が、自国の形を、正確に知るようになった**。
そして——
**(1)徴税**。土地の面積が分かる。
**(2)徴兵**。集落の分布が分かる。
**(3)軍事**。行軍の経路と、地形が分かる。
**(4)そして、境界**。
**線を、引けるようになった**。
(それ以前の境界は、**帯**であり、**慣習**であった。
「この川まで」「あの森の向こう」「この村は、こちらの領主に年貢を納める」。
——**測量ができれば、地図の上に、線が引ける**。
そして、その線が、**現地に、標石として打たれる**。)
**この変化が、近代の国境を作った**。
(歴史家が繰り返し論じてきたこと——
**近代の国家は、境界が線である**。前近代の帝国は、境界が**曖昧な帯**であり、**中心からの距離に応じて、支配が薄れていく**。
——地図の技術が、その転換の条件の一つになった。)
**そして**。
19世紀、この技術が、**ヨーロッパの外へ持ち出された**。
インド、アフリカ、東南アジア。
**測量が、支配の先触れになった**。
(「**地図を作ることは、領有することである**」。
——ベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』の増補で、「地図」を、国家が自らを想像する装置の一つとして論じている。)