← 地図で見る
Event / できごと

ケニアの独立

Kenya independence
AD1963年12月12日
重要度 3
中国インドアルジェリアスーダンザイールサウジアラビアリビア南アフリカチャドマリアンゴラニジェールエジプトパキスタンモーリタニアタンザニアナイジェリアナミビアモザンビークザンビアソマリア中央アフリカ共和国ボツワナマダガスカルケニアカメルーンジンバブエイエメンオマーンコンゴコートジボワールブルキナファソガボンウガンダガーナエリトリアベナンマラウイアラブ首長国連邦AD1963年12月12日ナイロビ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1963年12月12日の版図を描いています(39勢力)。

概要

ケニアの高地の肥えた土地は、白人の入植者のものになっていた。土地を奪われたキクユの人びとの反乱を、イギリスは十年近く力で抑え、数万人を収容所に入れた。反乱の指導者とされて投獄されたジョモ・ケニヤッタは、釈放されると独立の交渉の中心に立つ。1963年12月12日、ケニアは独立し、ケニヤッタが首相、のちに大統領となった。彼は入植者に報復せず、和解を説いた。だが土地は、新しい支配層の手に集まっていった。

場所

ナイロビ
-1.29°N 36.82°E · ケニア

本文

奪われた高地。

ケニアの高地の肥えた土地。

(1)白人の入植者のものになっていた。

(2)そして、土地を奪われたキクユの人びとの反乱を、イギリスは十年近く力で抑えた。〈——マウマウ団の反乱。〉

(3)さらに、数万人を収容所に入れた。

投獄された指導者。

反乱の指導者とされて投獄されたジョモ・ケニヤッタ。

(1)釈放されると、独立の交渉の中心に立った。

(2)そして、1963年12月12日、ケニアは独立した。

(3)さらに、ケニヤッタが首相、のちに大統領となった。

残ること。

彼は入植者に報復せず、和解を説いた。

だが土地は、新しい支配層の手に集まっていった。独立は、支配する者の顔を変えたが、土地の偏りは変えなかった。

同じ時代のできごと

ワルシャワ・ゲットー蜂起AD1943年4月19日学徒出陣AD1943年10月21日クルスクの戦いAD1943年7月5日大東亜会議AD1943年11月5日源泉徴収AD1943年バルジの戦いAD1944年12月16日インパール作戦1944年3月レイテ沖海戦AD1944年10月23日
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1963年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります
20世紀以降のできごと一覧 →人物一覧 →
歴史データベースとは? →