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Event / できごと

アフリカ統一機構の設立

Organisation of African Unity
AD1963年5月25日
重要度 3
中国インドアルジェリアスーダンザイールポルトガル帝国サウジアラビアイランリビアチベットチャドマリアンゴラニジェールエチオピア帝国エジプトパキスタンタンザニアナイジェリアモザンビークザンビアアフガニスタンソマリア中央アフリカ共和国マダガスカルケニアイラクモロッコカメルーンジンバブエイエメンオマーンコンゴコートジボワールブルキナファソガボンウガンダガーナシリアチュニジアネパールエリトリアベナンマラウイアラブ首長国連邦ヨルダンスリランカAD1963年5月25日アディスアベバ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1963年5月25日の版図を描いています(47勢力)。

概要

1960年前後、アフリカでは次々に国が独立した。1963年5月25日、エチオピアの皇帝ハイレ・セラシエの招きで、独立した32か国の首脳がアディスアベバに集まり、アフリカ統一機構を作った。ガーナのエンクルマは、アフリカを一つの連邦政府にまとめることを求めたが、多くの国は、手にしたばかりの主権を手放すことを嫌った。機構は、互いの内政に干渉しないこと、植民地の時代に引かれた国境を変えないことを原則とし、まだ植民地や白人の支配の下にある地域の解放を支えた。5月25日は「アフリカの日」になった。2002年、機構はアフリカ連合に生まれ変わった。

場所

アディスアベバ
9.03°N 38.74°E · エチオピア

本文

1957年のガーナの独立を皮切りに、アフリカの国々は次々に独立した。とくに1960年には17か国が独立し、「アフリカの年」と呼ばれた。独立した国々は、アフリカがどうまとまるべきかをめぐって、二つの陣営に分かれた。ガーナのクワメ・エンクルマらのカサブランカ・グループは、アフリカを一つの連邦にまとめる急進的な統合を求めた。ナイジェリアなどのモンロヴィア・グループは、独立した国どうしのゆるやかな協力を望んだ。

1963年5月、エチオピアの皇帝ハイレ・セラシエ1世は、両方の陣営の首脳をアディスアベバに招いた。エチオピアは、植民地にされなかった数少ないアフリカの国として、特別な威信を持っていた。5月25日、32か国の首脳がアフリカ統一機構の憲章に署名した。エンクルマは、いますぐアフリカの連邦政府を作らなければ、アフリカは小さな国に分かれたまま大国に操られると演説したが、受け入れられなかった。

憲章は、加盟国の主権と領土を尊重し、互いの内政に干渉しないことを原則とした。翌1964年には、植民地の時代に列強が引いた国境を、独立のときのまま尊重することが決められた。国境は民族を無視して引かれていたが、それを引き直そうとすれば、アフリカじゅうで果てしない争いが起きると考えられた。機構は、まだポルトガルの植民地だったアンゴラやモザンビーク、白人の少数の政権が支配するローデシアや南アフリカの解放の運動を支えた。

一方で、内政不干渉の原則は、加盟国の独裁や虐殺に目をつぶることにもつながった。ウガンダのアミンの圧政も、ナイジェリアのビアフラの戦争も、1994年のルワンダ虐殺も、機構は止められなかった。機構は「独裁者のクラブ」と皮肉られた。

2002年7月、アフリカ統一機構は、南アフリカのダーバンで、アフリカ連合に生まれ変わった。連合は、ヨーロッパ連合を手本に議会や委員会を設け、ジェノサイドや戦争犯罪、人道に対する罪が起きたときには、加盟国に介入する権利を認めた。内政不干渉から、「無関心ではいない」への転換と言われる。機構ができた5月25日は、いまもアフリカの日として祝われている。

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