できごと

世界恐慌

Great Depression
1929年 – 1939年
期間を持つできごと重要度 5
世界恐慌に関わる図版:Unemployed men queued outside a depression soup kitchen opened in Chicago by Al Capone, 02-1931 - NARA - 541927
Unemployed men queued outside a depression soup kitchen opened in Chicago by Al Capone, 02-1931 - NARA - 541927 Wikimedia Commons Unknown author Unknown author or not provided · Public domain

概要

ニューヨークの株価暴落が世界へ波及した。各国がブロック経済に閉じ、対立が深まる。

場所

ワシントンD.C.
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国

関わった人(1)

フランクリン・ローズヴェルトAD1882年1月30日–AD1945年4月12日 · ニューディールで対処

本文

1920年代のアメリカは、繁栄の時代と呼ばれた。自動車やラジオ、冷蔵庫が家庭に広がり、借金をして物を買う暮らしが当たり前になった。株価は上がり続け、手元の金の何倍もの株を借金で買う人々が増えた。だが、工場は作った物を売り切れなくなり、農家は第一次世界大戦の後の値下がりに苦しんでいた。繁栄の足元は、すでに揺らいでいた。

1929年10月24日、ニューヨーク証券取引所で株価が崩れた。後に「暗黒の木曜日」と呼ばれる日である。大銀行の家たちが買い支えて一時は持ち直したが、29日の火曜日に再び暴落した。株価の下落はそこで止まらず、代表的な株価の指数は、1929年9月の高値から1932年7月の底まで、およそ9割も下がった。

1936年3月にドロシア・ラングがFSAプロジェクトの一環としてカリフォルニアにおいて撮影した『移民の母』。7人の子供を抱えて極貧生活を送っていたこの32歳の母親は、後年にフローレンス・オーウェンズ・トンプソン(英語版)と判明した。
1936年3月にドロシア・ラングがFSAプロジェクトの一環としてカリフォルニアにおいて撮影した『移民の母』。7人の子供を抱えて極貧生活を送っていたこの32歳の母親は、後年にフローレンス・オーウェンズ・トンプソン(英語版)と判明した。Wikimedia Commons Dorothea Lange · Public domain

株の暴落だけなら、金持ちの損で済んだかもしれない。だが、借金をして株を買っていた人々や、株に金を貸していた銀行が倒れ始めた。預金を引き出そうとする人々が銀行に押し寄せ、それがまた別の銀行を倒した。1933年までに、アメリカでは約9000の銀行が潰れた。金が回らなくなると、企業は生産を減らし、人を解雇した。1933年、アメリカの失業率は25パーセントに達した。働ける人の4人に1人が仕事を失ったことになる。

恐慌は海を越えて広がった。その理由として、金本位制と、アメリカの資金の引き揚げが挙げられる。第一次世界大戦の後、ドイツはイギリスやフランスに巨額の賠償金を払わされていた。1923年には物価が天文学的に上がる混乱にも見舞われた。その後、ドイツはアメリカから借りた短期の資金で賠償を払い、イギリスとフランスはその賠償金でアメリカへの戦争の借金を返していた。アメリカの金が、ぐるりと回ってアメリカに戻る仕組みである。恐慌でアメリカの銀行が資金を引き揚げると、この輪が切れた。1931年5月、オーストリアの最大の銀行が破綻し、危機はドイツの銀行に飛び火した。

ニューヨーク・ウォール街の群衆
ニューヨーク・ウォール街の群衆Wikimedia Commons US-gov · Public domain

当時、主な国々は自国の通貨を一定量の金と交換できると約束する金本位制をとっていた。通貨の価値を守るには、金が国外に流れ出ないよう、金利を上げ、金の量に合わせてお金を絞らなければならない。景気が悪いときに、さらに景気を冷やす手を打たざるをえなかったのである。1931年9月、イギリスは金本位制をやめた(金本位制の崩壊)。後の研究では、金本位制を早く離れた国ほど、早く景気が持ち直したことが分かっている。

アメリカは1930年、国内の産業を守ろうとして輸入品に高い関税をかけた。各国も報復して関税を上げ、世界の貿易は数年で3分の1ほどに縮んだ。各国は、ブロック経済に閉じた。1932年、イギリスは植民地や自治領と会議を開き、仲間うちでは関税を下げ、外には高い関税をかける仕組みを作った。フランスも自国の植民地との結びつきを強めた。

イギリスとフランスは、広い植民地を持っていた。持たない国、ドイツ、イタリア、日本は、それを外へ求める方向へ向かう。日本では、1930年の金解禁が恐慌と重なって昭和恐慌を引き起こし、生糸の値段が暴落して農村は深刻な貧困に陥った。娘を売らなければならない家もあった。1931年、関東軍は満洲事変を起こし、満洲を勢力下に置いた。「持てる国」と「持たざる国」という言い方が、新聞や論壇で使われた。

満洲事変に関わる図版:Mukden 1931 japan shenyang
満洲事変Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

ドイツでは、1932年に失業者が600万人を超えた。それまで小さな政党だったナチスは、恐慌の中で急速に支持を広げ、1928年には3パーセントに満たなかった得票が、1932年7月には37パーセントになった。1933年1月、ヒトラーが首相になる(ナチスの政権掌握)。ヒトラーは道路の建設や軍備の拡大で失業を減らし、それがさらに支持を固めた。

アメリカでは、1933年3月に大統領に就いたフランクリン・ローズヴェルトが、就任演説で「われわれが恐れなければならない唯一のものは、恐れそのものだ」と語った。全国の銀行を一時閉めて、健全な銀行だけを再開させ、ラジオで国民に直接語りかけて預金を銀行に戻すよう呼びかけた。続いて、公共事業で職をつくり、農産物の値を支え、銀行の預金を保険で守り、労働者が組合を作る権利を認め、老後の年金の仕組みを作った(ニューディール)。国が経済に深く関わる時代が始まった。

ニューディールに関わる図版:New Deal collage
ニューディールWikimedia Commons LordHarris at English Wikipedia · Public domain

それでも、回復は遅かった。1937年に政府が支出を絞ると、景気は再び落ち込んだ。中部の大平原では、干ばつと砂嵐が畑を吹き飛ばし、多くの農民が土地を捨てて西へ向かった。イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは1936年の著書(ケインズ『一般理論』)で、不況のときは政府が金を使って需要を作り出すべきだと論じた。アメリカの失業が本当に解消したのは、第二次世界大戦に向けて軍需の生産が膨らんでからである。

恐慌が始まって10年後、戦争になる(第二次世界大戦)。戦後、各国はこの経験から、貿易の壁を下げる仕組みや、通貨を安定させる国際的な仕組みを作った。2008年の金融危機のとき、各国の中央銀行が素早く大量の資金を供給したのも、1930年代に中央銀行がお金を絞って恐慌を深めたという研究の教訓を踏まえてのことだった。

動画(1)

158 アメリカの繁栄と世界恐慌 世界史20話プロジェクト第16話Historia Mundi ムンディ先生高校の世界史を200講で通す講義の第158講「アメリカの繁栄と世界恐慌」

出典(2)

カール・ポランニー(野口建彦、栖原学 訳) 『大転換 市場社会の形成と崩壊』第1部(19世紀文明の崩壊)
ウォルター・シャイデル(鬼澤忍、塩原通緒 訳) 『暴力と不平等の人類史 戦争・革命・崩壊・疫病』第2部

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