できごと

『イリアス』『オデュッセイア』の成立

Homeric epics
紀元前8世紀頃
年に諸説あり重要度 5
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概要

口誦で伝えられた叙事詩が文字になった。ギリシア人が共有する物語の土台になる。

場所

トロイア
39.96°N 26.24°E · トルコ・チャナッカレ県

関わった人(2)

サッポーBC630年頃–BC570年頃 · 同じ時代の抒情詩の側ホメロス紀元前8世紀頃–? · 作者とされる

本文

紀元前12世紀ごろ、ギリシア本土で栄えたミュケナイの宮殿の文明(ミュケナイの興り)は崩れ落ちた。宮殿の役人たちが使っていた線文字Bという文字(線文字Bの解読)も忘れられ、ギリシアは数百年にわたって文字の無い時代に入る。その間、昔の英雄たちの物語は、各地を巡る吟遊詩人たちの口で語り継がれた。

紀元前8世紀ごろ、ギリシア人はフェニキア人の文字を借り、母音を表す字を加えて自分たちのアルファベットを作った(アルファベットの成立)。口で伝えられてきた長い叙事詩が文字に書き留められたのは、その頃から紀元前7世紀にかけてのことと考えられている。『イリアス』は1万5千行あまり、『オデュッセイア』は1万2千行あまりに及ぶ。どちらも、ヘクサメトロスという六つの拍を持つ韻律で書かれている。

ホメロスの胸像
ホメロスの胸像Wikimedia Commons Unknown artist Unknown artist · Public domain

作者とされるのはホメロスである。盲目の詩人だったという伝承があり、古代にはスミュルナやキオスなど七つの町がその生まれ故郷を名乗って争った。だが、ホメロスが実在の一人の詩人だったのか、二つの詩の作者は同じなのか、長い語りの伝統をまとめた者の名なのかは、古代から議論が続いており、「ホメロス問題」と呼ばれる。

二つの詩には、決まった言い回しが何度も繰り返し出てくる。「足の速いアキレウス」「ぶどう酒色の海」「ばら色の指をした曙」。1930年代、アメリカの古典学者ミルマン・パリーは、当時のユーゴスラヴィアで、文字を持たない語り部たちが数千行の歌を即興で語るのを調べた。語り部たちは、決まった言い回しを組み合わせて、韻律に合うように詩句をその場で作っていた。ホメロスの決まり文句も、長い詩を覚えて語るための技法だったことが、こうして明らかになった。

ウィリアム・アドルフ・ブグロー『ホメーロスと案内人』(1874年)
ウィリアム・アドルフ・ブグロー『ホメーロスと案内人』(1874年)Wikimedia Commons William-Adolphe Bouguereau · Public domain

『イリアス』は、トロイア戦争の10年目の、50日ほどの出来事だけを扱う。ギリシア軍の総大将アガメムノンに戦利品の女性を奪われた英雄アキレウスが、怒って戦いから退く。その間にギリシア軍は追い詰められ、アキレウスの親友パトロクロスがトロイアの王子ヘクトルに討たれる。アキレウスは怒りの向きを変えて戦場に戻り、ヘクトルを討って、その遺体を戦車で引きずり回す。最後に、老王プリアモスが敵の陣にひとり忍んで来て、息子の遺体を返してほしいと願う。アキレウスは、自分の老いた父を思って涙を流し、遺体を返す。詩はヘクトルの葬儀で終わる。

戦争の始まりも終わりも書かない。木馬の計略も、トロイアの陥落も、アキレウスの死も、『イリアス』には出てこない。冒頭の一語は「怒り」で、詩はアキレウスの怒りが起こってから解けるまでを描く。一人の人間の心の動きが、そのまま物語の背骨になっている。

ドミニク・アングル『ホメロス礼讃』(1827年、ルーヴル美術館蔵)
ドミニク・アングル『ホメロス礼讃』(1827年、ルーヴル美術館蔵)Wikimedia Commons Jean-Auguste-Dominique Ingres · Public domain

『オデュッセイア』は帰る話である。トロイア戦争の後、知恵者オデュッセウスは神の怒りを買い、10年にわたって海をさまよう。一つ目の巨人の洞窟、魔女の島、死者の国。故郷のイタケでは、妻ペネロペが多くの求婚者に言い寄られながら夫を待ち、息子テレマコスは父を探しに旅立つ。乞食に身をやつして戻ったオデュッセウスは、求婚者たちを討ち、妻と再会する。

この二篇が、ギリシア人の共通の教養になった。紀元前6世紀のアテナイでは、祭りの際に二つの詩を通して朗誦させたと伝えられる。子どもたちは学校でこれを暗誦し、悲劇も歴史も哲学も、ホメロスを前提に語られた。ヘロドトスは、ギリシア人に神々の系譜と姿を教えたのは、自分より400年ほど前のホメロスとヘシオドスだと書いている。アレクサンドロス3世は、師のアリストテレスが注を付けた『イリアス』を、遠征中も枕の下に置いていたとプルタルコスは伝える。

レンブラント『ホメーロスの胸像を前にしたアリストテレス』(1653年、メトロポリタン美術館蔵)
レンブラント『ホメーロスの胸像を前にしたアリストテレス』(1653年、メトロポリタン美術館蔵)Wikimedia Commons Rembrandt · Public domain

ホメロスの神々は人間くさい。嫉妬し、贔屓し、だまし合い、夫婦喧嘩をする。トロイア戦争でも、神々はそれぞれの贔屓の側について戦場に介入する。哲学者のクセノファネスは、ホメロスは盗みや姦通など人間でも恥ずべきことを神々にさせている、と非難した。プラトンも、理想の国から詩人を追い出すべきだと論じた。一神教の聖典とは、性格がまるで違う。教えを授ける書物ではなく、人間の栄光と悲しみを、神々をも巻き込んで歌った物語だった。

トロイア戦争そのものが本当にあったのかも、長く議論されてきた。19世紀の後半、ドイツの実業家シュリーマンは、小アジアの北西、ヒサルルクの丘を掘り、何層にも重なった町の跡を見つけた。その中に紀元前13世紀から12世紀ごろに破壊された層があり、これを伝説の戦争と結びつける研究者もいる。ただ、詩に描かれた戦争がそのまま史実だったとは考えにくく、何世紀もの記憶が混ざり合って一つの物語になったとみるのが一般的である。

動画(1)

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