サッポー
概要
レスボス島の詩人。古代には九人の抒情詩人の筆頭に数えられたが、まとまった形で残っているのは一篇だけで、あとは断片しかない。
所属
ギリシア諸ポリス関わったできごと(1)
『イリアス』『オデュッセイア』の成立紀元前8世紀頃 · 同じ時代の抒情詩の側本文
紀元前7世紀の後半、エーゲ海の東、小アジアの岸に近いレスボス島に生まれた。生年は紀元前630年頃とされるが、幅がある。生まれた町は島の西のエレソスとも、主邑のミュティレネとも言われる。同じ島に、同じ時代の詩人アルカイオスがいた。

暮らしぶりについて確かなことは、ほとんど無い。伝わる伝記は数百年後に書かれたもので、詩の中の言葉から推し量ったものや、アテナイの喜劇がサッポーを笑いものにした筋書きから作られたものが混じっている。それでも、いくつかのことは詩そのものや古い記録から分かる。兄弟が何人かいて、その一人カラクソスはエジプトの交易港ナウクラティスへ葡萄酒を運ぶ商売をしていた。ヘロドトスは、この兄が港の遊女に入れあげて大金を費やしたと書いている。サッポーの断片には、兄の無事な帰りを祈る詩もある。また、クレイスという名の愛しい娘がいたことが、詩からうかがえる。
紀元前600年前後、島の有力者たちの争いの中で、サッポーの一家はシチリアへ逃れたと、古代の年代記の碑文にある。詩人アルカイオスも、この頃の政争で何度も追放されている。貴族の家同士が権力を奪い合う、不安定な時代だった。

サッポーの詩は、竪琴に合わせて一人で歌う短い歌だった。英雄や神々の戦いを語る『イリアス』『オデュッセイア』の成立とは違い、歌われるのは「私」の心である。恋の苦しさ、去っていった少女への思い、婚礼の喜び、老いの嘆き。島の言葉であるアイオリス方言で書かれ、サッポー風の四行の詩形は、彼女の名で呼ばれるようになった。
ある断片では、騎兵の列を、歩兵の列を、船の列を、この世でいちばん美しいと言う人がいる、けれど私は、人が愛するものこそいちばん美しいと言う、と歌う。別の断片では、恋する少女が男と向き合って笑うのを見ると、舌は砕け、肌の下を火が走り、目は見えず、耳は鳴り、汗が流れ、震えが全身をつかみ、草よりも青ざめて、死ぬ寸前に思える、と書いた。この詩はローマの詩人カトゥルスがラテン語に移しており、恋の症状を描いた詩の手本として後世まで読まれた。

古代、サッポーの名声は並ぶ者が無かった。プラトンが「十番目のムーサ」と呼んだという短い詩が伝わる(ただしプラトンの作かは疑わしい)。アレクサンドリアの図書館の学者たちは、彼女の作品を詩の形ごとに9巻に整理し、ギリシアの九人の抒情詩人の筆頭に置いた。
詩の中では、少女たちへの愛が繰り返し歌われる。サッポーが少女たちを集めて教育する集団を率いていたという見方もあるが、その実態はよく分かっていない。彼女の故郷の島の名から、女性の同性愛を指す「レズビアン」という語が生まれ、「サッフィック」も同じ意味で使われるようになった。一方、古代の伝説には、美青年ファオンへの失恋からレウカスの崖に身を投げたという話もある。これは喜劇などが作った物語と考えられている。

9巻あった詩は、ほとんどが失われた。完全な形で残っているのは、愛の女神アフロディテに恋の助けを求める一篇だけである。それも、後世の文法学者が文体の見本として丸ごと引用してくれたおかげで残った。ほかの詩は、他の作家の引用や、エジプトの砂の中から見つかったパピルスの切れ端から拾い集められた断片である。ミイラを包んだ紙の詰め物から出てきたものもある。
失われた理由を、中世の教会が不道徳な詩として焼いたからだとする話が広く語られてきた。だが、確かな証拠は無い。方言が古く読みにくくなって写されなくなったこと、パピルスが長くはもたないことだけでも、古代の書物の大半は消えている。
断片は今も増えている。2004年には、ドイツのケルン大学が持つパピルスから、老いを歌った詩がほぼ全体の形で読めるようになった。2014年には兄弟を歌った新しい詩の発表が話題になったが、こちらはパピルスの入手の経緯に疑いが持たれ、学界で問題になった。2600年前の一人の女性の声は、いまも少しずつ砂の中から戻ってきている。