できごと

ミュケナイの興り

Rise of Mycenae
紀元前16世紀
年に諸説あり重要度 3
古シベリアの狩猟採集民バントゥー系の人びとサハラの牧畜遊牧民フィン・ウゴル系タイガの狩猟採集民Austroasian rice culturesアンドロノヴォ文化セム系の人びとCatacomb cultureインダス文明ヒッタイトビーカー文化ウルアナトリアの諸部族エジプトオクサス文明(バクトリア・マルギアナ)エラムヒッタイト都市国家群シンタシュタ文化NamazgaCanaanフルリの諸王国Kerma紀元前16世紀ミュケナイ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている紀元前16世紀の版図を描いています(23勢力)。

概要

クレタと違って城壁と武器だらけの遺跡。線文字Bは解読され、ギリシア語だと分かっている。

場所

ミュケナイ
37.73°N 22.76°E · ギリシア・アルゴリス

本文

紀元前2千年紀の前半、エーゲ海で最も華やかな文明は、クレタ島にあった。クノッソスなどの宮殿には、イルカや花や若者の姿を描いた壁画があふれ、城壁はほとんど無かった(クノッソスの宮殿)。その頃、ギリシア本土の人々は、まだ小さな村々に分かれて暮らしていた。

紀元前16世紀ごろ、本土のペロポネソス半島の北東、アルゴスの平野を見下ろす丘の上のミュケナイで、変化が始まった。その最初のしるしが、竪穴の墓だった。

ミュケナイの獅子門への道
ミュケナイの獅子門への道Wikimedia Commons Andy Hay from UK · CC BY 2.0

1876年、トロイアの発掘で名を上げたハインリヒ・シュリーマンが、ミュケナイの城門の内側で、円形に囲まれた墓域を掘り当てた。深い竪穴の墓から、遺体の顔を覆う黄金の仮面、金の杯、金の板で飾られた衣、そして大量の武器が出てきた。シュリーマンは、その仮面の一つを、ホメロスが歌うトロイア遠征の総大将アガメムノンの顔だと信じた。いまも「アガメムノンの仮面」と呼ばれているが、実際の年代はトロイア戦争の伝承よりも300年以上古い。1950年代には、城壁の外でもう一つの円形の墓域が見つかっている。

墓から出るのは、黄金と武器になる。青銅の短剣の刃には、金や銀や黒い合金をはめ込んで、ライオンを槍で狩る男たちの姿や、川辺の猫と鳥の場面が描かれている。戦い、狩り、富を見せること。それが、この人々の支配者の誇りだった。

ミュケナイの剣と杯のレプリカ(博物館展示)
ミュケナイの剣と杯のレプリカ(博物館展示)Wikimedia Commons The original uploader was Mierlo at English Wikipedia . · CC BY 2.5

ミュケナイの人々は、クレタから多くを学んだ。壁画も、工芸も、文字も、クレタのものを手本にした。そして紀元前15世紀の半ば頃には、クレタそのものに乗り込み、クノッソスの宮殿を支配したと考えられている。以後、ミュケナイの文化はギリシア本土の各地に広がった。ピュロス、ティリンス、テーバイ、アテナイ。それぞれの丘に宮殿が建ち、王が周りの土地を治めた。

ミュケナイがいまの姿になるのは、紀元前13世紀になる。城壁が厚く築き直された。一つの石が数トンもある巨石を積み上げた城壁で、後世のギリシア人は、一つ目の巨人キュクロプスが積んだとしか思えないと言った。そこから「キュクロプス式」と呼ばれる。正門には、2頭のライオンが柱をはさんで向き合う浮き彫りが掲げられた。獅子門である。城外には、蜂の巣のような丸天井を持つ巨大な石の墓が築かれた。

ポンペイ出土のペルセウス像の壁画(1世紀)
ポンペイ出土のペルセウス像の壁画(1世紀)Wikimedia Commons Pompejanischer Maler des 1. Jahrhunderts · Public domain

その文字が、線文字Bだった。クノッソスとピュロスなどの宮殿の跡から、文字を刻んだ粘土板が数千枚見つかっている。粘土板は本来、乾かしただけで、使い終われば捨てられるものだった。宮殿が火事で焼け落ちたとき、その火で焼き固められて、3000年残った。

1952年、建築家のマイケル・ヴェントリスが、この文字がギリシア語を書いたものだと突き止めた(線文字Bの解読)。ギリシア語の記録は、ホメロスより500年以上古い時代まで遡ることになった。

アキレウスとパトロクロスを描いた陶器画(ベルリン古代美術コレクション)
アキレウスとパトロクロスを描いた陶器画(ベルリン古代美術コレクション)Wikimedia Commons Sosias (potter, signed). Painting attributed to the Sosias Painter (name piece for Beazley, overriding attribution) or t · Public domain

読めた粘土板の中身は、期待とは違った。英雄の物語でも、神話でもなく、宮殿の帳簿だった。油が何壺、羊が何頭、戦車の車輪が何組、青銅を誰に何ほど渡したか。漕ぎ手を何人集めたか。宮殿が、周りの村々の産物と人手を細かく把握し、集め、配っていたことが分かる。王はワナカと呼ばれた。粘土板には、ゼウス、ヘラ、ポセイドン、ディオニュソスといった、のちのギリシアの神々の名も現れる。

紀元前1200年頃、ギリシア本土の宮殿は次々に焼け落ちた。地中海の東の各地で、同じ頃に国々が崩れている(海の民の侵入と青銅器時代の終わり)。なぜだったのかは分かっていない。外からの侵入、内乱、地震、干ばつと飢饉、交易の途絶。いくつもの原因が重なったと考えられている。宮殿が消えると、帳簿をつける書記もいなくなり、線文字Bも使われなくなった。ギリシアは、400年ほど文字を失う。

その空白の後に、ホメロスが現れる(『イリアス』『オデュッセイア』の成立)。紀元前8世紀、ギリシア人はフェニキア人の文字をもとに新しいアルファベットを作り、口で語り継がれてきた英雄たちの物語を書き留めた。黄金に富むミュケナイ、その王アガメムノン。忘れられた宮殿の時代の記憶は、帳簿ではなく、トロイア戦争(伝承)の歌として残っていた。

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