ヘシオドス
概要
ボイオティアの農民の詩人。神々の系譜を整理し、農民の一年を詩にした。ホメロスと違って自分のことを語る、最初の詩人になる。
所属
ギリシア諸ポリス関わったできごと(2)
ヘシオドス『仕事と日』BC700年頃 · 作者ヘシオドス『神統記』BC700年頃 · 作者本文
ヘシオドスは紀元前700年ごろ、ギリシア中部のボイオティア地方に生きた詩人である。ホメロスと並んで、ギリシア最古の詩人の一人に数えられる。どちらが先に生きたかは古代から議論があり、いまもはっきりしない。

ホメロスについて私たちは、本人のことをほとんど何も知らない。ヘシオドスは違う。自分の詩の中で、自分のことを語っている。『仕事と日』によれば、父は小アジアのアイオリス地方の町キュメの人で、海を渡って商いをしていたが、貧しさに追われてボイオティアに移り住んだ。落ち着いた先は、ヘリコン山のふもとのアスクラという村だった。ヘシオドスはその村を、冬はひどく、夏はつらく、良いときが一度もない、とこき下ろしている。
詩人になったきっかけも、自分で書いている。『神統記』の冒頭によれば、ヘリコン山で羊の番をしていたとき、詩の女神ムーサたちが現れた。女神たちは「野に住む羊飼いども、恥さらしの、腹ばかりの者たち」と呼びかけ、自分たちは本当らしい嘘も語れるし、望めば真実も語れる、と告げた。そして月桂樹の杖を与え、神々の来歴を歌う声を吹き込んだ。人の詩人が、神から詩を授かった場面を一人称で語ったのである。
その『神統記』は(ヘシオドス『神統記』)、世界のはじまりから神々の系譜をたどる詩である。はじめにカオスが生じ、続いて大地ガイアとエロスが現れる。天空ウラノスは子らを大地の奥に押し込め、息子クロノスに倒される。クロノスは自分の子を呑み込み、末子ゼウスに倒される。ゼウスは巨神ティタンたちとの戦いに勝ち、秩序を打ち立てる。各地でばらばらに語られていた神々の話を一つの系図にまとめたこの詩は、ギリシアの人びとにとって神話の基本の筋になった。

もう一つの作品『仕事と日』は(ヘシオドス『仕事と日』)、弟ペルセスに向けた詩の形をとる。父の遺産を分けたとき、ペルセスは土地の有力者に取り入って多くを持っていった、とヘシオドスは訴える。そうした裁きを下す領主たちを、彼は「賄賂を食らう王たち」と呼んだ。そのうえで、怠けずに働けと弟を諭す。人は働いてこそ羊の群れと富を得る、働くことは恥ではなく、怠けることこそ恥だ。
詩の後半は、農民の一年の暦になっている。プレアデス星団が夜明けに昇るころ刈り入れを始め、沈むころ耕せ。鶴の声が聞こえたら耕す季節だ。牛は9歳のものを選べ。妻はよく見て選べ。航海は夏の50日のあいだだけにせよ。ここには神話の英雄ではなく、天候と借金と隣人に気をつかいながら暮らす小さな農民の目がある。プロメテウスが火を盗み、その罰としてパンドラが送られて災いが広がる話も、人間の時代が金から銀、銅、英雄、そして鉄へと下ってきた五つの時代の話も、この詩にある。自分はいまその鉄の時代に生きている、とヘシオドスは嘆いている。

海については、ヘシオドスは不慣れだったと自ら認めている。生涯でただ一度、アウリスからエウボイア島のカルキスへ、狭い海峡を渡っただけだという。その旅で、亡くなった領主アンピダマスを悼む葬送競技に出て、歌で勝ち、取っ手のついた鼎を賞品に得た。彼はそれをヘリコン山のムーサたちに捧げた。
後の時代には、この話がふくらんだ。カルキスの競技でヘシオドスはホメロスと歌を競って勝った、という伝承が生まれ、『ホメロスとヘシオドスの歌競べ』という作品にまとめられた。聴衆はホメロスの勝ちを望んだが、審判の王は、戦争と殺し合いを歌う者より、農業と平和を勧める者が勝つべきだとして、ヘシオドスに冠を与えたという。作り話だが、二人の詩の違いをよく言い当てている。ヘシオドスの死についても、ロクリスで殺されて海に投げ込まれ、遺体をイルカが岸に運んだ、という伝説がある。
ヘシオドスが詩の中で自分の名と暮らしを語ったことで、彼はしばしば、ヨーロッパの文学で自分を語った最初の書き手とされる。農民の苦しさと正義への求めを詩にした点でも、英雄を歌うホメロスとは別の道を開いた。古代のギリシアでは、ホメロスとヘシオドスの二人がギリシア人に神々を教えた、とヘロドトスが書いている。