できごと

ヘロドトス『歴史』

Histories of Herodotus
BC430年頃
重要度 5
ヘロドトス『歴史』に関わる図版:POxy v0017 n2099 a 01 hires
POxy v0017 n2099 a 01 hires Wikimedia Commons Unknown · Public domain

概要

なぜ戦争が起きたのかを調べて書いた最初の書。「歴史」という言葉の出所になる。

場所

ハリカルナッソス
37.04°N 27.42°E · トルコ・ボドルム

関わった人(1)

ヘロドトスBC484年頃–BC425年頃 · 著者

本文

「ヒストリアイ」は、ギリシア語で「調べたこと」「探究の報告」を意味する。著者のヘロドトスがこの語を書名代わりに冒頭へ置いたことで、それがのちに「歴史」を指す言葉になった。英語のヒストリーも、この語にさかのぼる。

著者は小アジア南西岸のハリカルナッソスに、紀元前484年頃に生まれたとされる。ギリシア人の町だが、当時はアケメネス朝ペルシアの支配下にあり、住民にはカリア人の血も混じっていた。若い頃に町の僭主に逆らって追われ、サモス島に移ったと伝えられる。その後アテナイに滞在し、晩年は南イタリアに新しく建てられた植民市トゥリオイに加わったという。ギリシア世界とペルシア世界の境目で育ったことが、書きぶりに影を落としている。

Historiae
HistoriaeWikimedia Commons Herodotus · Public domain

書き出しで、目的を自分の言葉で述べている。人の営みが時とともに忘れられないように、ギリシア人と異民族が成しとげた偉大な事績が語られなくならないように、そしてとりわけ、両者がなぜ争うことになったのかが分からなくならないように、という趣旨である。神話や英雄の物語ではなく、人間どうしの争いの原因を探ることを、最初から主題に掲げていた。

主題は物語「ペルシア戦争」だが、そこへ至るまでの道のりがとても長い。話はリュディアの王クロイソスがギリシア人の町を従えたところから始まり、キュロス2世によるリュディアとバビロンの征服、その子カンビュセスのエジプト遠征、ダレイオス1世の即位とスキタイ遠征へと進む。征服される国が出てくるたびに、その土地の地理、風俗、歴史が長々と語られる。エジプトを扱う巻は、ほとんど一冊まるごとがナイル川とピラミッドとミイラの作り方の話になっている。イオニアの反乱からマラトンの戦いを経て、後半でようやくクセルクセス1世の大遠征、テルモピュライの戦い、サラミスの海戦、プラタイアの戦いが語られ、紀元前479年の出来事で筆が止まる。全体が9巻に分かれているのは、後のアレクサンドリアの学者が分けたもので、各巻に詩の女神ムーサたちの名が付けられた。

マラトンの戦いに関わる図版:Scene of the Battle of Marathon
マラトンの戦いWikimedia Commons John Steeple Davis · Public domain

やり方は、行って見て、聞くことだった。エジプトではナイルをさかのぼり、黒海の北岸ではスキタイ人の話を集め、バビロンの城壁についても書いている。どこまで本人が実際に足を運んだかは研究者のあいだで議論があるが、現地の人の言い分を、食い違うものもそのまま並べる書き方は一貫している。「私の務めは聞いたことを伝えることで、それをすべて信じることではない」という趣旨の断りを、繰り返し差し挟む。

そのせいで、信じがたい話も多く混じる。インドには金の砂を掘り出す、狐より大きな蟻がいるという。アラビアの乳香の木は、翼のある蛇が守っているという。こうした話が、紀元1世紀のプルタルコスに『ヘロドトスの悪意について』という一冊を書かせるほどの批判を呼んだ。ローマのキケロが「歴史の父」と呼んだ一方で、「嘘の父」という呼び名も後世に生まれた。金を掘る蟻については、ヒマラヤの高地で巣穴から砂を掻き出すマーモットの話が伝わる途中で変わったのではないか、という説もあるが、確かめられてはいない。

テルモピュライでのレオニダス1世, ジャック=ルイ・ダヴィッド画(1814年)
テルモピュライでのレオニダス1世, ジャック=ルイ・ダヴィッド画(1814年)Wikimedia Commons Jacques-Louis David · Public domain

逆に、考古学が後から裏づけた記述もある。スキタイ人の王が死ぬと、馬や従者をともに葬り、大きな塚を築くという記述は、黒海北岸の草原で見つかった墳墓の発掘と多くの点で合う。疑わしい話と確かな観察が、同じ調子で並んでいる。どれが聞き書きで、どれが本人の確認かを読み分けることが、この本を読む作業になる。

ペルシア側の言い分を書き留めていることも、この書の大きな特徴である。冒頭で、争いの発端についてペルシアの物知りたちの説を紹介している。女たちをさらい合った昔話をあげ、トロイア戦争でギリシア人が先に大軍でアジアへ攻め込んだのだから、敵意の始まりはギリシア側にある、という言い分である。また第3巻では、ダレイオスが即位する前に、ペルシアの貴族たちが民主政、寡頭政、独裁制のどれがよいかを論じ合った場面を記している。ギリシア人には信じない者もいるだろうが実際にあったことだ、とわざわざ念を押している。勝った側が敗れた敵の理屈と議論を記録した例として、古代では珍しい。

ギリシャの 三段櫂船
ギリシャの 三段櫂船Wikimedia Commons F. Mitchell, Department of History, United States Military Academy · Public domain

書かれた時期は、紀元前430年代から420年代とみられる。文中にペロポネソス戦争の初期の出来事に触れた箇所があり、それより前に完成したとは考えにくい。アテナイの人々の前で朗読して喝采を受けたという話も伝わるが、後世の逸話である可能性がある。著者は紀元前425年頃までに世を去ったとされる。

すぐ後に続いたトゥキディデスは、ペロポネソス戦争を書くにあたって、聞き手を楽しませるための話は省くと宣言した。名指しはしていないが、先人への批判と読まれてきた。証拠を吟味するトゥキディデスと、世界の広さを見せるヘロドトス。この二人の違いは、いまも歴史の書き方の二つの型として語られる。

ヘロドトス『歴史』第1巻に記されたバビロンの婚姻市場(エドウィン・ロング画、1875年)
ヘロドトス『歴史』第1巻に記されたバビロンの婚姻市場(エドウィン・ロング画、1875年)Wikimedia Commons Edwin Long · Public domain

ギリシア人の戦争を書いた本でありながら、その半分以上は異民族の暮らしの記録である。エジプト人は文字を右から左へ書き、ギリシア人はそれを逆だと思っている、といった観察を、どちらが正しいとも決めずに並べる。自分たちの習慣を当たり前だと思わない視線が、2400年あまり前の一冊に、すでにはっきりと表れている。

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