概要
アテナイ重装歩兵がペルシア軍を撃退した。第一次ペルシア戦争の帰趨を決める。
場所
マラトン
38.15°N 23.96°E · ギリシア・アッティカ
38.15°N 23.96°E · ギリシア・アッティカ
関わった人(1)
ダレイオス1世BC550年–BC486年 · ペルシア側 · 派兵本文
アテナイの重装歩兵が、ペルシア軍を撃退した。
密集した歩兵が、走って距離を詰めた。 弓の射程を早く抜けるためとされる。
損害の差が大きい。 ヘロドトスは、ペルシア側6400、アテナイ側192と書く。 数字は疑われているが、 重装歩兵の密集が有効だったことは動かない。
勝報を伝えるために走った兵が、 伝え終えて絶命した——という話が、 マラソン競技の由来として語られる。
出典はずっと後の時代のもので、 ヘロドトスにはこの話が無い。 彼が書いているのは、 スパルタへ援軍を求めて走った別の走者になる。
192人の墓が、いまも戦場跡に残っている。
出典(1)
ヘロドトス 『歴史』第6巻 102–117