概要
5年ごとに、市民全員が名と年齢と財産を申告した。監督するのは監察官(ケンソル)。ここで決まるのは、どの階級に属し、どの部隊で戦い、どの投票区で何票を持つかである。数えることは、税と兵役と政治的な権利を同時に割り当てる行為だった。申告を怠れば、財産を没収され、奴隷に落とされることもあった。ケンソルは風紀も監督し、名簿から元老院議員を除くことができた。censor(検閲)の語はここから来る。
場所
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
本文
**ケンスス(census)**。ラテン語の censere(見積もる、評価する)から。
伝承では、王政期の第6代王**セルウィウス・トゥッリウス**(前578〜535年頃)が始めた、とされる。共和政期に、5年ごとの制度として定着した。
**手続き**。
**マルスの野**に、全ローマ市民が集められる(後には、地方の市民は現地で登録した)。
一人ずつ、**監察官(ケンソル)**の前に出て、宣誓の上で申告する。
- **名前**(個人名・氏族名・家名、そして父の名) - **年齢** - **所属する部族(トリブス)** - **妻と子の名** - **解放奴隷の数** - そして**財産**——土地、家、奴隷、家畜、馬車、宝飾品、現金。
虚偽の申告、あるいは申告を怠ることは、重罪である。財産を没収され、**奴隷として売られる**こともあった(インケンススの罰)。
**なぜ数えるのか**。
数えた結果で、三つのことが同時に決まる。
**(1)税**。財産に応じて、戦時の税(トリブトゥム)を負担する。
**(2)兵役**。
ローマ市民は、**自分の装備を自分で買って**戦争に行く。だから、財産が武装を決める。
- 第1階級(10万アス以上)——全身の甲冑、盾、剣、槍 - 第2〜3階級——軽い装備 - 第5階級——投石具のみ - **プロレタリイ**(財産が最下限に満たない者)——武装できない。彼らが国家に提供できるのは、**子(proles)**だけである。だから、この名がある。
**(3)投票権**。
共和政ローマの民会(ケントゥリア民会)は、一人一票ではない。**ケントゥリア(百人隊)ごとに一票**である。
そして、ケントゥリアの数が、階級によって違う。
- 騎士階級と第1階級:合わせて**98ケントゥリア** - 第2〜第5階級:合わせて**95ケントゥリア** - プロレタリイ:**全部で1ケントゥリア**
総数193。**過半数は97**。
つまり、**上位の階級だけで、過半数に達する**。投票は上から順に行われ、過半数に達した時点で終了する。下位の階級には、順番が回ってこないことが常だった。
数えることが、そのまま、政治的な重みの配分だった。
**ケンソル**。
2人。任期は原則18か月(5年ごとに選ばれる)。
執政官を務めた者の中から選ばれる、最も名誉ある職とされた。
権限。
- 市民名簿の作成 - **元老院議員の名簿(レクティオ・セナトゥス)の作成**——不適格と判断した議員を、名簿から**除名できる** - 公共事業の請負契約(アッピア街道は、監察官アッピウス・クラウディウスによる) - 国有地の貸付 - そして——**風紀の監督(regimen morum)**
**風紀**。
これが、この職の特異な点である。
ケンソルは、市民の行状を審査した。
処罰の対象とされた例。
- 農地の手入れを怠った者 - 妻を不当に扱った者、離婚を軽々しく行った者 - 過度の贅沢(宴会に金をかけすぎる) - 子を持たない独身者 - 職務怠慢 - 元老院議員が、公の場で不適切な振る舞いをしたこと
処罰は、**ノタ・ケンソリア**(監察官の記号)。名簿の名の横に、理由とともに印を付ける。
これで、議員は議席を失い、騎士は馬を取り上げられ、市民は投票区を下位に移された(都市の部族へ移すのが最も屈辱的だった)。
**大カトー**は、監察官として極めて厳格だった(前184年)。彼は、妻の前で娘に接吻した元老院議員を除名した。人前での抱擁は、風紀を乱す、として。
**censor** という語が、いまの「検閲」の意味を持つのは、ここから来る。
**数**。
ケンススの結果は、記録された。
- 前508年:13万(伝承。信頼できない) - 前234年:27万人 - 前209年:13万7108人(第二次ポエニ戦争の直後。カンナエ以後の損失が現れている) - 前70年:91万人 - 前28年(アウグストゥス):**406万3000人**
(この急増は、市民権が同盟市戦争〈前91〜88年〉の後にイタリア全土へ広げられたこと、そして、数え方が「成人男性市民」から「女性と子を含む市民全体」に変わった可能性があることによる。解釈は分かれている。)
**帝政期**。
アウグストゥスが、ケンススを自ら3回行った。彼の業績録『**神君アウグストゥスの業績**』に、その数が誇らしげに記されている。
属州でも、税のために人口調査が行われた。
(ルカによる福音書2章1節。「そのころ、皇帝アウグストゥスから、全領土の住民に**登録**をせよとの勅令が出た」。ヨセフとマリアがベツレヘムへ行った理由として書かれている。ただし、この記述と、キリニウスのシリア総督在任〈後6年〉の年代は、歴史学的に整合しない。)
3世紀の混乱の中で、5年ごとの定期的なケンススは行われなくなった。
**その後**。
近代の国勢調査は、ローマから直接に続いているわけではない。
- 1086年、**ドゥームズデイ・ブック**(イングランド。ノルマン征服後の土地台帳)。 - 1590年代、**太閤検地**(日本。石高と耕作者)。 - 1749年、**スウェーデン**。近代的な定期人口調査の最初とされる。 - 1790年、**アメリカ合衆国**。憲法が定めた10年ごとの調査(下院の議席配分のため)。 - 1801年、**イギリス**。 - 1920年、**日本**の第1回国勢調査。
しかし、原理は変わっていない。
**国家が人を数えるのは、そこから何かを取るため、あるいは何かを配るためである**。