できごと

『更級日記』

Sarashina Nikki
AD1059年頃
重要度 4
『更級日記』に関わる図版:Teika-sarashina-nikki-calligraphy
Teika-sarashina-nikki-calligraphy Wikimedia Commons Fujiwara no Teika copied the poem from Sugawara no Takasue no musume (Sugawara no Takasue's daughter). · Public domain

概要

菅原孝標の娘。13歳で上総から京へ。「物語を読みたい」と薬師仏に祈った。『源氏物語』を全巻もらって、昼も夜も読んだ。宮仕え、結婚、夫の死。50歳を過ぎて、少女の頃からの40年を書いた。物語に憧れた人生の、静かな終わり。

場所

京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府

関わった人(1)

菅原孝標女AD1008年–? · 著者

本文

『更級日記』の作者は、菅原孝標の娘として知られる(菅原孝標女)。本当の名前は伝わっていない。1008年の生まれで、ちょうど『源氏物語』(『源氏物語』)が宮中で読まれ始めたころにあたる。父の孝標は、学問の家として知られた菅原氏の出で、菅原道真の玄孫にあたる。母の異母姉は、『蜻蛉日記』(『蜻蛉日記』)を書いた藤原道綱母だった。物語や日記を書く女性たちと、身近なつながりのある家に生まれたのである。

日記は、作者が13歳の年から始まる。父が上総介として赴任していたため、作者は少女時代を、都から遠い東国の上総(いまの千葉県)で過ごしていた。作者は冒頭で、東の道の果てよりもさらに奥で育った自分は、どんなにか田舎じみていたことだろう、と振り返る。そんな田舎で、姉や継母が語る物語を聞き、世の中には物語というものがあるそうだが、それを全部読みたい、と思うようになった。作者は、自分と同じ背丈の薬師仏を作ってもらい、人のいないときにこっそり拝んで、早く都に上らせて、物語をたくさん読ませてください、と祈った。

1020年、父の任期が終わり、一家は都へ向かった。旅は3か月ほどかかった。作者は、上総を発つとき、拝んできた薬師仏が置き去りにされるのを見て、人知れず泣いた。足柄の山で遊女たちの歌に聞き入り、富士山が煙を上げているのを見た。旅の記録は、平安時代の東海道の様子を伝える貴重な描写にもなっている。

都に着いた作者は、物語を探し求めた。翌年、おばにあたる人から、『源氏物語』の五十余巻をはじめ、たくさんの物語を箱に入れてもらった。作者は嬉しくてたまらず、几帳の中に籠もって、昼は一日中、夜は目が覚めている限り、灯をともして読みふけった。后の位に就くことさえ、これに比べたら何になろう、とまで書いている。いつか自分も、夕顔や浮舟のように、美しい人に思われる身になりたいと夢見た。夢に美しい僧が現れて、法華経の第五巻を早く習いなさいと告げたが、作者は気にも留めなかった。

その後の日記は、少女時代のようには詳しくない。都に着いてまもなく継母は家を去り、乳母も、姉も亡くなった。作者は30歳を過ぎて、後朱雀天皇の皇女の祐子内親王の御所に宮仕えに出たが、華やかな宮廷の暮らしにはなじめなかったようである。やがて橘俊通と結婚し、子どもたちを育てながら、宮仕えも時々続けた。物語の主人公のような恋は訪れなかった。作者は石山寺や長谷寺などに参詣するようになり、その旅の記録が日記の後半の多くを占める。

1057年、夫の俊通は信濃守に任じられて赴任したが、翌年の秋に病気で亡くなった。作者は、夫が信濃へ旅立った朝の姿を思い出す。そして、若いころ物語にばかり心を奪われ、仏道の勤めをおろそかにしていなかったら、こんな目にはあわなかったのだろうか、と悔やむ。物語のような人生に憧れた少女は、物語とはまったく違う、平凡で寂しい晩年を迎えていた。日記の終わりには、かつて夢に阿弥陀仏が現れ、後で迎えに来ようと言ったことを、ただ一つの頼みにしていると記している。

日記の題は、作者が晩年に詠んだ「月も出でで闇にくれたる姨捨に何とて今宵たづね来つらむ」という歌に由来すると考えられている。姨捨山は信濃の更級にあり、夫の任地の信濃と、老いて訪ねる人もない自分の身を重ねたのである。日記が書かれたのは、夫の死の後、1059年ごろとされる。藤原定家が書き写した本の奥書には、作者が『夜半の寝覚』『浜松中納言物語』などの物語も書いたと記されているが、確かではない。

いまに伝わる本は、定家の書き写した本がもとになっている。その本は、江戸時代以前に綴じ直したときに紙の順番が入れ違っていて、長いあいだ意味の通らない箇所があった。大正の終わりに、国文学者たちがその誤りに気づいて正しい順に戻し、初めてきちんと読めるようになった。物語に夢中になった少女の姿は、千年後の読者にも親しく感じられ、『更級日記』は平安時代の日記文学の代表作の一つとして読まれている。

同じ時代のできごと

畢昇の活字AD1045年頃宋の活字と羅針盤AD1040年頃ダンダーナカーンの戦いAD1040年慶暦の改革AD1043年パガン朝の成立AD1044年プエブロ・ボニートAD1050年頃カホキアの繁栄AD1050年チャコ・キャニオンの大集落AD1050年頃(最盛期)
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