概要
ドイツ降伏の2か月後、ベルリンの郊外。トルーマンは会談の途中で原爆実験の成功を聞き、スターリンに「新しい強力な兵器」とだけ言った。スターリンは知っていた。26日、日本に降伏を求める宣言。日本は「黙殺」し、8月6日。チャーチルは会談中に選挙で負けて帰った。
場所
52.40°N 13.07°E · ドイツ
関わった人(3)
ハリー・トルーマンAD1884年5月8日–AD1972年12月26日 · 米ヨシフ・スターリンAD1878年12月18日–AD1953年3月5日 · ソチャーチルAD1874年11月30日–AD1965年1月24日 · 途中で交代本文
7月17日から8月2日。 ツェツィーリエンホーフ。皇太子の宮殿。 トルーマン。3か月の大統領。 スターリン。1日遅れて来た。「心臓」。 チャーチル。選挙の結果待ち。 アトリー。7月28日から。 「ドイツ」。4つの占領地区。非ナチ化、非軍事化、民主化、分権化。「4つのD」。賠償は各占領地区から。ソ連は西からも15%。 「ポーランド」。オーデル・ナイセ。「暫定」。ドイツ人の追放。「秩序ある人道的な」。1400万人が追われ、50万から200万が死んだ。 7月16日、トリニティ。 7月21日、詳しい報告がトルーマンに。「トルーマンは別人になった」。チャーチル。 7月24日、会議のあと、トルーマンがスターリンに歩み寄って、通訳なしで。「我々は新しい、異常な破壊力の兵器を持っている」。スターリン。「良い知らせだ。日本に対して、よく使ってほしい」。 スターリンは知っていた。フックス。「クルチャトフに急がせろ」。 7月26日、「ポツダム宣言」。米英中。ソ連は署名せず。「日本の軍の無条件降伏」。「我々の条件は変わらない。他の選択肢は迅速かつ完全な破壊」。 天皇のことは書かれなかった。 7月28日、鈴木貫太郎。「黙殺」。記者会見。「重要視しない」。 英語で「ignore」「reject」。 「黙殺は、答えを保留する、の意味だった」。「訳が」。 8月6日。8月8日、ソ連が宣戦。8月9日。8月14日、受諾。 「ポツダム宣言の受諾」。 「ソ連の対日参戦」。ヤルタの約束。8月8日。 「原爆は、ソ連が来る前に日本を降伏させるために」。 「原爆は、本土決戦を避けるために」。 両方。 「ポツダム」。 ヨーロッパの戦争が終わって、アジアの戦争が終わる前の、17日間。 チャーチルは選挙で負けて、宮殿から消えた。 「私が去るときの写真がない」。 アトリーが座った。スターリンは「イギリス人は、あんな男を選ぶのか」。 ツェツィーリエンホーフは、いま博物館。 円卓が残っている。