『黄金の牧場』
概要
歴史と地理をひとつづきに書いた。東アフリカの海岸で象牙が中国へ運ばれることまで載っていて、当時の海の広さがそのまま分かる。
場所
33.32°N 44.37°E · イラク
関わった人(1)
アル=マスウーディーAD896年頃–AD956年 · 著者本文
10世紀のバグダードは、アッバース革命で開かれた王朝の都として、世界でも指折りの大都市だった。ギリシアやペルシア、インドの書物がアラビア語に訳され、紙が普及して本が安く作られるようになり、市場には書店が並んだ(バグダードの建設)。ただ、政治の面ではカリフの力はすでに衰え、各地の総督や軍人が実権を握るようになっていた。945年には、イランから来たブワイフ朝がバグダードに入り、カリフを保護の名のもとに抑える(ブワイフ朝のバグダード入城)。
アル=マスウーディーは、そのバグダードで9世紀の末に生まれた。預言者ムハンマドの教友の一人の子孫とされる家の出で、若いころから旅に出た。ペルシア、インド西岸、セイロン、東アフリカの海岸、カスピ海の沿岸、シリア、パレスチナ、エジプト。商人の船に乗り、各地の学者や役人、船乗りから話を聞いて回った。どこまで実際に行ったのかは、記述からは判別しにくいところもある。晩年はエジプトのフスタートで過ごし、956年ごろにそこで没した。
マスウーディーは、生涯にいくつもの大著を書いた。中でも大きかったのが『時代の情報』と呼ばれる歴史書で、30巻に及んだと伝えられるが、失われてほとんど残っていない。『黄金の牧場と宝石の鉱山』は、その膨大な著作の内容をまとめ直したもので、947年に書き上げられ、のちに手が加えられた。今日まで読み継がれてきたのは、こちらのほうになる。
書名は詩的だが、中身は世界の歴史と地理である。天地の創造から始まり、古代のイスラエル、インド、中国、ペルシア、ギリシア、ローマ、エジプトの王たちの歴史を語り、海と山と川、各地の民族と宗教を述べる。後半はイスラームの歴史で、預言者からカリフたちの時代まで、宮廷の逸話をふんだんに交えて語る。ハールーン・アッラシードの宮廷(ハールーン・アッラシードの治世)の宴や、詩人と楽人の話も、この本を通して後世に伝わったものが多い。
マスウーディーのやり方は、ヘロドトスに近い。自分で見聞きしたこと、人から聞いた話を、時に疑いを添えながら並べていく。異教徒の宗教や習慣についても、頭ごなしに退けるのではなく、興味を持って書き留めた。インドの王の葬儀、ペルシアの古い祭り、ビザンツの宮廷、キリスト教の宗派の違いなど、題材は驚くほど広い。のちのヨーロッパの学者が彼を「アラブのヘロドトス」と呼んだのは、そのためだ。
この本は、当時の海の世界を伝える貴重な記録でもある。マスウーディーは、東アフリカの海岸、彼がザンジュの地と呼んだ土地(ザンジュの乱)で、象牙が集められることを書いた。象牙はオマーンへ運ばれ、そこからインドと中国へ送られる。インドでは剣の柄や将棋に似た盤上遊戯の駒に、中国では高官の輿や飾りに使われる、と彼は説明している。アフリカの海岸と中国が、インド洋を介して一続きの交易でつながっていた。10世紀の時点で、その広がりがすでに一人の書き手の目に見えていたことになる。
中国についての記述もある。9世紀の後半、黄巣という反乱の指導者が南の港町の広州を攻め、そこに住んでいた多くのイスラーム教徒やユダヤ教徒、キリスト教徒の商人が殺された、という話である。マスウーディーはこれを、中国との往来に通じた人からの伝聞として記している。殺された人の数として挙げられた十数万という数は誇張とみられるが、この事件のあとアラブの商人が中国まで直接船を出すことが減った、という流れは他の記録とも合う。
北の世界も描かれる。ヴォルガ川の下流にあったハザールの国では、王と支配層がユダヤ教を信じていたこと。北から川を下ってきたルースと呼ばれる人々が、10世紀の初めに船団を組んでカスピ海の沿岸を荒らしたこと。北欧から来た人々の東方での活動を伝える、数少ない記録の一つになっている。
マスウーディーは、地震や潮の満ち引き、海の塩の成り立ちなど、自然の現象にも強い関心を示した。合理的な説明を好み、伝承を鵜呑みにしない姿勢は、当時の思想の流れとも重なる。シーア派への共感がうかがえる書き方もあり、その立場をめぐって研究者の議論がある。
旅をして、見て、聞いて、世界を一冊にまとめる。マスウーディーが示したこの型は、のちのイスラーム世界の旅行記や地理書に受け継がれ、14世紀のイブン・バットゥータの旅へと続いていく。『黄金の牧場』は、19世紀にフランス語に訳されて、ヨーロッパの学者にも広く読まれるようになった。