ハールーン・アッラシードの治世
概要
バグダードが世界最大級の都市になった。カール大帝と使者を交わした記録も残る。
場所
33.32°N 44.37°E · イラク
関わった人(1)
ハールーン・アッラシードAD763年頃–AD809年 · 当人本文
750年、ウマイヤ朝を倒したアッバース家がカリフの位についた(アッバース革命)。二代目のカリフマンスールは、ティグリス川のほとり、ユーフラテス川とも運河で結ばれる場所に新しい都を築いた。それがバグダードで、二重の城壁で囲まれた円形の町の中心に、カリフの宮殿と大モスクが置かれた(バグダードの建設)。町はたちまち円の外へあふれ出し、インド洋からも地中海からも、中央アジアからも商人が集まる大都市へ育っていった。
ハールーン・アッラシードは、マンスールの孫にあたる。父のカリフ・マフディーのもとで、若くしてビザンツ帝国への遠征軍を率い、782年にはボスポラス海峡の対岸まで進んで、ビザンツの女帝エイレーネーに毎年の貢納を約束させた。この手柄によって「ラシード(正しく導かれた者)」の称号を得たと伝えられる。786年、兄のカリフが若くして急死すると、ハールーンが20代の若さでカリフの位を継いだ。兄の死には、二人の母ハイズラーンが関わっていたとする噂も伝わる。

ハールーンの治世の前半を支えたのは、ペルシア系の名家バルマク家だった。父ヤフヤーは、ハールーンが少年のころから仕えた教育係で、即位とともに宰相として政治のほぼすべてを任された。その息子のファドルとジャアファルも要職につき、とりわけジャアファルはハールーンの無二の友として、片時もそばを離れなかったという。バルマク家は学問や詩人を手厚く保護し、その気前のよさは語り草になった。
この時代、バグダードは繁栄の頂点に向かっていた。人口については数十万人とも百万人近くともいわれ、確かな数は分からないが、当時の世界で最大級の都市の一つだったことは間違いない。751年のタラス河畔の戦いのあと中国の製紙の技術がイスラーム世界に伝わり、8世紀の末にはバグダードにも紙を作る工房ができたとされる。紙は羊皮紙やパピルスよりはるかに安く、役所の文書から書物まで、文字の量が一気に増えた。ハールーンの宮廷には書物を集めた書庫が置かれ、これがのちに息子の時代に「知恵の館」として翻訳と研究の中心になる(バグダードの知恵の館)。宮廷には詩人や音楽家、法学者が集まり、ハールーンは巡礼を何度も行い、妃のズバイダはメッカへの巡礼路に井戸や貯水池を整えた。

遠い西方とのつながりも記録に残っている。フランク王国のカール大帝は797年にバグダードへ使節を送り、ハールーンはこれに応えて使いを返した。801年、その使いは一頭の象を連れてイタリアに着いた。象は「アブル・アッバース」と名づけられてアルプスを越え、翌年カール大帝の宮廷のあるアーヘンに着き、810年まで生きた、とフランク王国の年代記は記す。807年には、時刻ごとに小さな玉が落ちて音を鳴らす精巧な水時計も贈られたという。ただし、アラビア語の歴史書にはこの交流のことはまったく出てこない。どちらにとっても、ビザンツ帝国という共通の相手を牽制する意味があったとみられる。
803年、ハールーンは突然バルマク家を倒した。ジャアファルはその夜のうちに処刑されて遺体はバグダードの橋に晒され、ヤフヤーとファドルは牢に入れられて獄中で死んだ。一族の財産はすべて没収された。なぜカリフが最も信頼していた一族を一夜で滅ぼしたのか、理由は記録に残っていない。力が大きくなりすぎたことへの警戒だったとも、宮廷の対立だったとも、ハールーンの妹とジャアファルの秘密の結婚が原因だったとも言われるが、確かなことは分からない。

治世の後半、ハールーンは再びビザンツとの戦いに力を入れた。貢納をやめたビザンツの皇帝ニケフォロス1世に、返事は聞くのではなく見ることになるだろう、という手紙を送って自ら遠征した話はよく知られている。一方、帝国の西の端では北アフリカの地方の総督が自立を認められるなど、広すぎる帝国のほころびも見え始めていた。809年、東方のホラーサーンで起きた反乱を鎮めに向かう途中、トゥースの近くで病に倒れて亡くなった。墓はのちの聖地マシュハドにある。
ハールーンの死後、帝国は息子たちの争いで揺れた。バグダードのカリフとなったアミーンと、ホラーサーンを任されていたマアムーンが戦い、812年から813年にかけてバグダードは1年あまり包囲されて、町の多くが焼けた。勝ったマアムーンのもとで、知恵の館を中心とする学問の黄金時代が花開く。

ハールーン・アッラシードの名を世界に広めたのは、『千夜一夜物語』である。そこでの彼は、夜ごとに宰相ジャアファルを連れて商人に身をやつし、バグダードの町を歩いて民の暮らしを見て回る、気まぐれで公正な名君として描かれる。物語集がまとめられたのは彼の死から何世紀も後のことで、そこに描かれる繁栄のバグダードは、失われた黄金時代への憧れが作り上げた姿でもある。