アル=マスウーディー
概要
バグダードに生まれ、インド・東アフリカ・カスピ海まで旅して『黄金の牧場』を書いた。歴史と地理を一冊に束ねた最初の人とされる。
関わったできごと(1)
『黄金の牧場』AD947年 · 著者本文
バグダードに生まれた。生年は896年頃とされるが、数年の幅がある。正式な名はアブル・ハサン・アリー・イブン・アル=フサイン・アル=マスウーディー。預言者ムハンマドの教友イブン・マスウードの子孫を名乗る家の出だった。
そのころのバグダードは、アッバース革命から150年をへたアッバース朝の都で、世界で最も大きな町の一つだった。ギリシア語やペルシア語、サンスクリットの書物がアラビア語に訳され(バグダードの知恵の館)、学者たちは哲学、天文学、地理学、歴史を論じ合っていた。一方で、カリフの力は衰え、地方の総督や軍人が自立し始めていた。南のイラクでは、少し前に黒人奴隷の大反乱があったばかりだった(ザンジュの乱)。マスウーディーは、その都で学問を身につけ、若くして旅に出た。

生涯の多くを旅に費やした。行った先は、ペルシア、インド、スリランカ、東アフリカの海岸、カスピ海沿岸、シリア、エジプト。915年頃にはペルシアのイスタフルを訪れ、インダス川の流域のムルターンやマンスーラに足を延ばした。インド西岸の港から船に乗り、オマーンの船乗りたちとともにアラビア海を渡って、東アフリカの「ザンジュの地」の沖の島まで行った。船乗りたちは、海の荒さと、その先の金の採れる土地ソファーラのことを語った(スワヒリ海岸の交易都市)。北ではカスピ海の沿岸やアルメニア、コーカサスを巡り、晩年はシリアとエジプトで過ごした。何度も船に乗った経験から、インド洋の海がどれほど恐ろしいかを、自分の目で見たこととして書いている。
自分で見たものと、聞いたものを分けて書いている。カスピ海に船団でやって来て沿岸を荒らしたルーシの人々のこと(ルーシの成立)、その北に住むハザールの王国のこと(ハザールの滅亡)、ペルシア東部のスィースターンで風の力で回る粉ひきの車のことを書いた。中国については、行ったことはないが、商人の話から、黄巣の乱で広州の外国人商人たちが殺されたことまで書き留めている。
『黄金の牧場』では、歴史と地理を分けなかった(『黄金の牧場』)。正式な題は『黄金の牧場と宝石の鉱山』。天地の創造と預言者たちの物語に始まり、インド、中国、ギリシア、ローマ、ペルシア、エジプト、アフリカの諸民族を巡り、後半はイスラームの歴史をカリフごとに書いていく。土地の話をしながらそこで起きたことを語り、出来事を語りながらその土地の様子を書く。海の潮の満ち干や、地震、川の流れが変わることにも頁を割いた。宮廷の宴の会話や、詩、逸話もふんだんに入っていて、読み物としての面白さがある。
イスラーム世界の外の宗教についても、批判より紹介に重きを置いて書いた。インドの信仰、ゾロアスター教、キリスト教の諸派、そしてギリシアの哲学者たち。理性を重んじるムウタズィラ派の考えに近かったとされ、シーア派に共感していたという見方もある。信じるものの違う人々の話を、まず聞いて書き留めるという姿勢が、彼の本を他にない記録にしている。
書いたものの多くは失われた。『時代の歴史』という30巻あったとされる本編は残らず、その要約にあたる『黄金の牧場』が伝わっている。『黄金の牧場』は947年にまとめられ、その後も書き直されている。最晩年には、それまでの著作を振り返って補った『警告と再考の書』を書いた。
カイロで死んだ。正確には、いまのカイロの一部にあたる町フスタートで、956年のことである。エジプトは当時、アッバース朝から自立したイフシード朝が治めていた。
後世、14世紀の歴史家イブン・ハルドゥーンは、マスウーディーを歴史家たちの導き手として称えた。ヨーロッパの研究者は「アラブのヘロドトス」と呼ぶ(ヘロドトス)。世界を歩いて見聞きしたことを、一冊の中で時間と空間の両方に広げて語った書き方は、のちのイスラーム世界の地理学者や歴史家たちにも受け継がれていく。