できごと

リュディアの鋳造貨幣

Lydian Coinage
BC7世紀後半
年に諸説あり重要度 5
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概要

金と銀の合金に刻印を打ち、重さを量らずに数えて使えるようにした。市場での取引が速くなり、税も給金も数で払えるようになる。

場所

サルディス
38.49°N 28.04°E · トルコ・マニサ県

関わった人(1)

クロイソスBC595年頃–BC546年頃 · 整えた

本文

いまの硬貨は、数えるだけで使える。1枚ごとに秤に載せて重さを量り、混ぜ物がないかを疑う人はいない。だが、金属でものを買う時代が始まってから長いあいだ、取引のたびにそれが必要だった。銀の塊や金の粒は、量る人がいて、秤があって、はじめて代金になった。その手間を、刻印一つで省いたのが、紀元前7世紀後半の小アジア西部にあったリュディア王国である。

リュディアの都サルディスのそばを流れるパクトロス川では、砂の中から金と銀が自然に混じり合った合金が採れた。ギリシア語でエレクトロンと呼ばれる、淡い黄色の金属である。リュディアの人々は、この合金を決まった重さの粒にまとめ、片面に図柄の刻印を打ち込んだ。王家の印とみられる、口を開いた獅子の頭の図柄がよく知られている。刻印は、この重さとこの品位を王が保証する、という意味を持った。受け取る側は、量らずに数えるだけでよくなった。

「カンダウレスの妻の裸体を盗み見するギュゲス」、オランダの画家エグロン・ファン・デル・ネールによる作品
「カンダウレスの妻の裸体を盗み見するギュゲス」、オランダの画家エグロン・ファン・デル・ネールによる作品Wikimedia Commons Eglon van der Neer · Public domain

最古級の貨幣が見つかった場所として名高いのは、エーゲ海岸の都市エフェソスのアルテミス神殿である。20世紀の初めの発掘で、神殿の基礎の下から、刻印のあるエレクトロンの粒や、刻印の無い粒がまとまって出土した。貨幣が生まれる前後の姿を残すこの一群の年代をめぐって、研究者たちは長く議論してきた。いまは、紀元前7世紀の後半から6世紀の初めにかけてとする見方が多い。

貨幣はとても細かく分けられていた。基準となる1枚のおよそ3分の1、6分の1と続き、小さいものは1グラムにも満たない。日々の買い物にも使えたのか、それとも大きな支払いのためだけのものだったのかは分からない。自然の合金は採れる場所によって金と銀の割合がまちまちだが、貨幣を分析すると金の割合がそろえられており、銀を足して調整していたとする研究もある。もしそうなら、重さだけでなく中身まで国が管理し、そこから利益を得ていたことになる。

ギュゲスの銘板(大英博物館)
ギュゲスの銘板(大英博物館)Wikimedia Commons Jona Lendering · CC0

王国の最盛期は、最後の王クロイソスの時代だった。クロイソスの富は伝説となり、西洋では今も、大金持ちを「クロイソスのように富む」と言う。伝承では、この王の時代に、エレクトロンに代わって、純度の高い金貨と銀貨を別々に作る仕組みが始まったとされる。混じり物の割合という厄介な問題を、金と銀を分けることで解いたのである。ただし、その金貨と銀貨が本当にクロイソスの治世に作られたのか、それとも王国が滅んだ後のペルシアの支配下で作られたのかについては、議論がある。

クロイソスの名は、ヘロドトスの『歴史』で多くの逸話とともに語られる。アテナイの賢者ソロンに、自分ほど幸福な者はいるかと尋ねて、死ぬまでは誰も幸福とは言えないと諭された話は有名だが、年代が合わず、後世の創作と考えられている。ペルシアと戦うべきかをデルフォイの神託に問うと、戦えば大国が滅ぶと告げられた。紀元前546年頃、クロイソスはペルシアのキュロス2世と戦って敗れ、サルディスは陥落した。滅んだ大国は、自分の国だったのである。

ヘロドトスは、リュディア人こそ金貨と銀貨を初めて作って使った人々であり、また初めて小売りの商いをした人々だと書いた。ヘロドトスの時代のギリシア人にとっても、貨幣の起こりはリュディアにあると考えられていた。リュディアの前の時代については、王権を奪ったギュゲスのリュディアの話が伝えられている。

ギュゲスのリュディアに関わる図版:Der Ring des Gyges (Ferrara 16 Jh)
ギュゲスのリュディアWikimedia Commons Anonymous Unknown author · Public domain

貨幣は、またたく間に広がった。リュディアを併合したペルシアは、ダレイオス1世の時代に、弓を構えた王の姿を刻んだ金貨と銀貨を作った。エーゲ海のギリシアの都市は、それぞれ自分の図柄で銀貨を打ち始めた。アイギナ島のウミガメ、アテナイのフクロウ、コリントスの天馬。貨幣はやがて、どの都市のものかを示す小さな看板になった。

貨幣が変えたのは、商売の速さだけではない。国は税を貨幣で集め、兵や職人への給金を貨幣で払えるようになった。穀物や家畜のように腐ったりかさばったりしない富を、国家が貯め、遠くまで運び、必要なときに配ることができる。自分の土地を守る市民兵ではなく、報酬目当てに集まる傭兵を雇う国が増えていくのも、払う手段ができたからでもある。神殿への奉納も、王の贈り物も、罰金も、数で表されるようになった。

ビン・テペの王家の墳墓。クロイソスの父アリュアッテスの墓、リュディア、紀元前6世紀
ビン・テペの王家の墳墓。クロイソスの父アリュアッテスの墓、リュディア、紀元前6世紀Wikimedia Commons Jona Lendering · CC0

同じ頃、世界の別の場所でも、金属の貨幣が生まれていた。中国では、農具の鋤や刀の形をかたどった青銅の貨幣が、紀元前1千年紀の半ば、春秋戦国時代に使われるようになる。インドでは、銀の板に小さな刻印をいくつも打ち込んだ貨幣が、紀元前6世紀から4世紀頃に現れた。これらがリュディアから伝わったものなのか、それぞれの地で独自に思いつかれたものなのかは、決まっていない。形も作り方も大きく違うことから、別々に生まれたと考える研究者が多い。

貨幣は、その後2600年以上にわたって形を変えながら使われてきた。中国では11世紀に交子(世界最初の紙幣)が生まれ、紙が金属の代わりを務めるようになる。いまでは数字のやりとりだけで支払いが済む。それでも、物の価値を数で表し、誰もが信用する誰かがそれを保証する、という仕組みの基本は、リュディアの小さな刻印のときから変わっていない。

動画(1)

お金の歴史! ―カネさえあれば人生HAPPY?【COTEN RADIO #72】歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIOお金の歴史を7回かけて扱うシリーズの第1回。貨幣の誕生から

出典(3)

ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』第10章 最強の征服者、貨幣
マット・リドレー(大田直子、鍛原多惠子、柴田裕之 訳) 『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』第3章 美徳の形成
デヴィッド・グレーバー(酒井隆史 訳) 『負債論 貨幣と暴力の5000年』第9章(枢軸時代。貨幣と軍隊と奴隷制が同時に現れる)

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