プランバナンの造営
概要
ボロブドゥールから数十年で、今度はヒンドゥーの大伽藍が同じジャワに建った。二つの信仰が並んでいる。
場所
-7.75°N 110.49°E · インドネシア・ジャワ島
本文
ジャワ島の中部、ムラピ火山のふもとに広がるクドゥ平野とプランバナン平野は、火山灰に養われた肥えた土地で、古くから稲作が盛んだった。8世紀から9世紀にかけて、この地にはインドから伝わった宗教を奉じる王家が栄えた。一つは大乗仏教を奉じたシャイレンドラ家で、9世紀の初めに巨大な仏教の建造物ボロブドゥールを築いた(ボロブドゥールの造営)。もう一つは、シヴァを主神とするヒンドゥーの王家で、のちにマタラム王国と呼ばれる国の中心となった。
二つの王家がどういう関係にあったのかは、研究者のあいだでも説が分かれている。同じ一つの王家の中で信仰の違う系統が並んでいたとみる説もあれば、別々の王家が勢力を争っていたとみる説もある。よく語られるのは、ヒンドゥーの王ラカイ・ピカタンが、シャイレンドラ家の王女と結婚したという話である。この結婚によって二つの家が結びつき、ピカタンが中部ジャワの主になったと考えられてきた。ただし、これも碑文の読み方にもとづく推定で、確かではない。

856年の日付を持つ古ジャワ語の碑文には、壮麗なシヴァの神殿が奉献されたことが記されている。この神殿がプランバナンの寺院群だと考えられている。ピカタンの時代に造営が始まり、その後の王たちのもとで完成されたとみられる。
寺院群の中心には、三つの大きな祠堂が南北に並ぶ。真ん中が最も大きなシヴァの祠堂で、高さは47メートルある。北にはヴィシュヌの祠堂、南にはブラフマーの祠堂が建つ。ヒンドゥーの三柱の主神が並ぶ形である。その向かいには、それぞれの神が乗る動物、牛のナンディ、鳥のガルダ、鵞鳥のハンサを祀る小さな祠堂が並ぶ。中心の区画の外には、200を超える小さな祠堂がびっしりと取り囲んでいた。ボロブドゥールが丘を覆うように横に広がる造りなのに対し、プランバナンは鋭く空へ伸びる塔が林立する造りになっている。
シヴァとブラフマーの祠堂の回廊の内壁には、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』(『ラーマーヤナ』の成立)の物語が、連続する浮き彫りで刻まれている。王子ラーマが妻シーターを魔王ラーヴァナにさらわれ、猿の軍勢の助けを借りて取り戻す話である。ヴィシュヌの祠堂には、クリシュナの物語が刻まれている。ジャワでは今も、この寺院を背景にラーマーヤナの舞踊劇が上演されている。

プランバナンには、ジャワの人々のあいだで語り継がれてきた伝説がある。ある王子が美しい王女ロロ・ジョングランに求婚した。王女は断るために、一晩で千の寺院を建てられたら妻になると言った。王子は精霊の力を借りて寺院を建て続け、夜明け前に999までできあがった。あわてた王女は、村の女たちに米をつかせ、東の空で火を焚かせて、朝が来たと思わせた。だまされたと知った王子は怒り、王女を石の像に変えて、千番目の像にしてしまった。シヴァの祠堂の中にあるドゥルガー女神の像が、その王女だと言われている。この伝説から、寺院群はロロ・ジョングラン寺院とも呼ばれる。
プランバナンの近くには、セウ寺院など大きな仏教の寺院もいくつも建っている。仏教とヒンドゥーの大建築が、同じ平野に、半世紀ほどのあいだに並んで建てられたのである。二つの信仰が激しく争った形跡は乏しく、王家や貴族が両方の宗教に寄進した例も碑文に見える。

10世紀の前半、中部ジャワの王家は都を東ジャワへ移した。理由は分かっておらず、ムラピ火山の大噴火とする説、スマトラのシュリーヴィジャヤの海上交易との争いとする説などがある。プランバナンは見捨てられ、16世紀ごろの大地震で崩れたと考えられている。ジャワの政治の中心は東ジャワへ移り、14世紀にはマジャパヒト王国の隆盛が島々を従える大国になった。
その後、ジャワでは港町からイスラームが広まり、15世紀から16世紀にかけて多くの人々がムスリムになった。今のインドネシアは、世界で最も多くのムスリムが暮らす国である。ヒンドゥーの伝統は、東の隣のバリ島に受け継がれ、バリでは今も寺院の祭りが日々の暮らしに根づいている。

プランバナンの修復は、オランダの植民地時代の1918年から始まり、シヴァの祠堂は1953年に再建された。2006年にはジャワ中部の地震で再び大きな被害を受けたが、修復が続けられている。1991年に世界遺産に登録され、ボロブドゥールとともに、インドネシアを代表する遺跡になっている。