ウシュマルとプウク様式
概要
南のマヤ低地が捨てられていく頃、北のユカタンでは石を精密に組む建築が花開いた。川の無い土地で、雨水を溜める貯水槽の上に都市が成り立っている。
場所
20.36°N -89.77°E · メキシコ・ユカタン州
本文
8世紀から9世紀にかけて、メキシコ南部からグアテマラにかけての熱帯の森、いわゆるマヤ低地の南部では、大きな都市が一つまた一つと見捨てられていった。ティカルやコパンのような都市では、王の事績を刻んだ石碑が建てられなくなり、人口が減り、神殿は森に飲み込まれた(マヤ低地の崩壊)。日照り、戦争の激化、人口の増えすぎ、王権への信頼の崩れ。原因はいくつも挙げられ、いまも議論が続いている。
ちょうどそのころ、北のユカタン半島では、それと入れ替わるように都市が栄えた。半島の北西部には、平らな石灰岩の大地の中に、プウクと呼ばれる低い丘陵が東西に連なっている。マヤの言葉で「丘」を意味する名である。この丘陵の一帯に、ウシュマル、カバー、サイール、ラブナーといった都市が、8世紀から10世紀にかけて次々に大きくなった。その中心がウシュマルだった。

プウクの土地には、ひとつ大きな難点があった。水である。ユカタン半島には川がほとんど無く、雨水は石灰岩の割れ目からすぐに地下へしみこんでしまう。半島の北部では、地下水の湧く天然の井戸、セノーテが人々の命綱だったが、プウクの丘陵では地下水が深く、セノーテもほとんど無い。人々は、地面の石灰岩をくりぬいて徳利のような形の貯水槽「チュルトゥン」を作り、建物の床や広場に降った雨を集めて貯えた。窪地を粘土で固めた溜め池も作られた。乾季の数か月を、こうして貯めた雨水でしのいだのである。それでもこの土地が多くの人を養えたのは、丘陵の間の土がユカタンでは珍しく深く肥えていて、トウモロコシがよく育ったからだと考えられている。
雨は暮らしのすべてを左右した。だからプウクの建物には、雨の神チャークの顔が繰り返し刻まれた。大きな目と牙を持ち、長く曲がった鼻を突き出した仮面が、建物の角や正面の上部に、いくつも重ねて並べられている。近くのカバーには、正面の壁一面を何百ものチャークの仮面で埋め尽くした建物がある。

プウク様式と呼ばれる建築は、ひと目で見分けがつく。壁の下半分は飾りの無い平らな切り石で仕上げ、上半分の帯に、細かく切った石を組み合わせた幾何学の模様をびっしりと並べる。格子の文様、階段のような雷文、小さな円柱を並べた文様、そしてチャークの仮面である。建物の芯は石灰と砕石を練り合わせた硬いコンクリートのような塊で、その表面に、薄く精密に切り出した石を化粧張りのように貼っている。あらかじめ同じ形に切りそろえた石の部品を組み合わせてモザイクを作る、手間のかかる技術だった。
ウシュマルの「総督の宮殿」は、人工の大きな基壇の上に建つ、長さ100メートル近い横長の建物で、その上部の帯には、何万もの切り石からなるモザイクが続いている。この建物は、金星が昇る方角を向いて建てられているとされる。中庭を4つの建物が囲む「尼僧院の四角形」も、スペイン人が修道院に似ていると思って名付けたもので、実際には宮殿か儀式の場だったらしい。碑文からは、10世紀の初めごろ、チャン・チャーク・カクナル・アハウと呼ばれる王がこの都市を治め、こうした大建築の多くが彼の時代に建てられたと考えられている。
ウシュマルでいちばん目立つのは、高さ30メートルを超える「魔法使いのピラミッド」である。普通のピラミッドと違って、底面が楕円形をしている。土地の言い伝えでは、卵から生まれた小人が、一夜のうちにこのピラミッドを建てたという。19世紀に旅行者が書き留めた話である。実際には、数百年の間に少なくとも5回にわたって、古い神殿の上に新しい神殿を重ねて建て増していったことが、調査で分かっている。
ウシュマルは石を敷き固めた白い道「サクベ」で、南東のカバーと結ばれていた。カバーの側の入り口には、石を少しずつせり出させて組んだアーチの門が立っている。プウクの都市どうしは、こうした道で結ばれた一つのまとまりを作っていたらしい。
だが、プウクの都市の繁栄は長くは続かなかった。10世紀のうちに、ウシュマルでは大きな建物が建てられなくなり、人口も減っていった。日照りが続いて貯水槽の水だけでは足りなくなったのか、半島の東で力を伸ばしたチチェン・イッツァとの争いに敗れたのか、はっきりした理由は分かっていない(チチェン・イッツァの繁栄)。のちの時代、ユカタンの名家シウ家は、自分たちがウシュマルを治めた王の子孫だと名乗った。
19世紀の半ば、アメリカの旅行家スティーヴンズと画家キャザウッドがこの地を訪れ、森の中に埋もれた石の宮殿を細密な版画で紹介すると、ヨーロッパとアメリカの人々は驚いた。ウシュマルは1996年に世界遺産に登録された。川の無い土地で雨を貯めて都市を築いた人々は、その雨を司る神の顔で、宮殿を飾り尽くした(マヤの諸都市)。