概要
ビクトリアの金鉱で、掘る権利の高い免許料と、警官の取り締まりに、鉱夫が怒った。免許証を焼き、青い南十字星の旗の下で「互いの権利と自由を守る」と誓い、丸太で砦を作った。日曜の夜明け、兵と警官が襲って15分。鉱夫22人、兵5人が死んだ。裁判で陪審は全員を無罪にした。翌年、免許料は廃止され、鉱夫に選挙権が与えられた。オーストラリアの民主主義の神話になった。
場所
-37.56°N 143.85°E · オーストラリア・ビクトリア州
本文
1851年、ビクトリアで金が見つかった。ベンディゴ、バララット。世界中から人が来た。イギリス、アイルランド、ドイツ、イタリア、アメリカ、中国(1854年までに約2000人、1857年に2万人以上)。植民地の人口は1851年の7万7000から1861年の54万へ。
免許料。掘る場所の広さは3.6メートル四方。金が出ても出なくても、月30シリング(熟練工の週給の2倍)。警官が「免許狩り」で、坑道の中まで来て、証明書を見せろと言い、持っていなければ丸太に鎖でつないだ。警官は腐敗していた(賄賂)。鉱夫には投票権がなかった(土地を持たないので)。
1854年10月、バララットのユーレカ・ホテルで、スコットランド人の鉱夫ジェームズ・スコビーが殺された。ホテルの主人ベントリー(前科者で、警官と親しい)が、治安判事の法廷で無罪になった。10月17日、鉱夫がホテルを焼いた。3人が逮捕された。
11月11日、バララット改革同盟。要求。免許料の廃止、成人男子の普通選挙、議員の財産資格の廃止、議員への歳費、毎年の議会(チャーティストの6か条から)。総督ホザムは拒み、兵を増やした。
11月29日、鉱夫1万人の集会。免許証を焼いた。青い旗を掲げた。南十字星の5つの白い星、白い十字。「ユーレカ旗」。11月30日、ピーター・レイラー(アイルランド人の技師)が指導者に選ばれた。「我々は、南十字星の下に、互いの権利と自由を守るために、共に立ち、忠実に戦うことを誓う」。ユーレカの採掘場の一角に、丸太で囲いを作った。1平方エーカーほど。150〜500人。
12月3日、日曜日の夜明け。兵276人と警官が、三方から。10分から20分。鉱夫22人(あるいは27人)、兵5人が死んだ。囲いは焼かれ、旗は引きずり降ろされて、記念に切り取られた。レイラーは腕を撃たれて、隠れた(懸賞金がかかったが、誰も渡さなかった)。
裁判。1855年、13人が大逆罪で起訴された。メルボルンの陪審は、全員を無罪にした。傍聴席が歓声を上げた。
1855年、王立委員会の勧告で、免許料は廃止され、年1ポンドの「鉱夫権」に代えられた(掘る権利と、投票権と、土地を買う権利がついた)。1855年11月、レイラーはバララット選出の議員になり、後に下院議長になった。1857年、ビクトリアで成人男子の普通選挙と秘密投票(世界で最初期の一つ。「オーストラリア式投票」として各国に広まった)。
マーク・トウェイン(1895年、オーストラリアで)「ユーレカは、政治的自由のための、この地で唯一の反乱だった。……小さな反乱だが、原則の上で、大きな勝利だった」。
旗は、労働組合の旗になり、1970年代から建設労組が使い、右派も左派も掲げ、極右も使うようになって、いま、誰のものか争われている。バララットの博物館に、切り取られて縮んだ本物がある。