概要
平安時代の京の貴族たちは、寝殿造と呼ばれる屋敷に住んだ。敷地の中央に南を向いた寝殿を置き、その東西や北に対屋を配して渡り廊下で結び、南には池と築山のある庭を設けた。建物の中には、ほとんど固定した壁が無く、広い板敷きの空間を、御簾や几帳、屏風で仕切って使った。畳は、人が座ったり寝たりするところにだけ敷く敷物だった。開け放たれた屋敷は、庭の四季を楽しむには向いていたが、冬は寒かった。のちの書院造では、部屋を襖で仕切り、畳を敷き詰め、床の間を設けるようになり、日本の和室のもとになった。
場所
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
本文
794年に平安京が開かれると、都の中には、碁盤の目のように区画された土地に、天皇の宮殿と、貴族たちの屋敷が並んだ。位の高い貴族は、1町(およそ120メートル四方)、ときにはその何倍もの広さの敷地に、寝殿造と呼ばれる屋敷を構えた。
屋敷の中心は、南を向いて建つ「寝殿」で、主人が暮らし、客を迎え、儀式を行う場だった。寝殿の東、西、北には、「対屋」と呼ばれる建物が置かれ、妻や子どもたち、仕える人々が住んだ。建物どうしは、屋根のある渡り廊下で結ばれた。寝殿の南には、白い砂を敷いた広い庭があり、その先に、島を浮かべた池と築山が造られた。池には、釣殿と呼ばれる、水の上に張り出した建物が設けられ、舟遊びや月見が楽しまれた。
寝殿造の建物の中には、ほとんど壁が無かった。太い柱の間を、外とは格子の戸「蔀」で仕切るだけで、中は広い板敷きの空間だった。人々は、その空間を、すだれの御簾、布を垂らした几帳、屏風、衝立などで、必要に応じて区切って使った。床は板敷きで、畳は、人が座ったり寝たりする場所にだけ置く、厚い敷物だった。身分によって、畳の縁の色や模様が決められていた。
開け放たれた屋敷は、庭の四季の移ろいを室内から楽しみ、和歌を詠むには向いていた。『源氏物語』(『源氏物語』)や『枕草子』には、御簾ごしに庭の雪を眺め、几帳の陰で男女が言葉を交わす場面が描かれている。一方で、壁も天井も無い大きな空間は、冬にはひどく寒かった。人々は、何枚も重ねた衣と、火鉢で寒さをしのいだ。
寝殿造は、時代が下るにつれて形を変えた。室町時代には、部屋を襖や障子で細かく仕切り、床に畳を敷き詰め、天井を張り、床の間や違い棚、付書院を設けた書院造が生まれた(銀閣と東山文化)。書院造は、武家の屋敷や寺院の住まいに広がり、のちの日本の和室の原型になった。