概要
カロリング家の王が狩りで死に、ランス大司教が「王位は世襲ではなく選ばれるもの」と説いて、パリ伯を選ばせた。自分の領地は小さく、諸侯は従わなかった。だがその家が、以後800年続く。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
関わった人(1)
ユーグ・カペーAD940年頃–AD996年 · 王本文
987年5月、ルイ5世が狩りで落馬して死んだ。 20歳。 子がなかった。 叔父のシャルル(下ロレーヌ公)がいた。 カロリング家。 ランスの大司教アダルベロンは、 シャルルがドイツ皇帝の家臣で、 身分の低い妻を持っている、と言った。
5月末、サンリスの集会。 アダルベロンの演説。 ジェルベールが書いた。 のちの教皇シルウェステル2世。 「王国は世襲によって得られるものではない。 高貴な血筋だけでなく、知恵と信仰と寛大さを持つ者を選ぶべきだ」。 ユーグ・カペー。 パリ伯、フランス公。 ロベール家。 祖父の兄ウードが888年に王だった。 祖父のロベールが922年に王だった。 叔父のラウルが923年に王だった。 カロリングとロベールが、交互に王だった家。
7月3日、ノワイヨンで戴冠。 12月、息子のロベールを共同王にした。 「王が一人だと、死んだとき、また選挙になる」。 アダルベロンは反対したが、 スペインへの遠征に王が二人要る、と押した。 以後、カペー家は代々、生前に息子を戴冠させた。 1179年まで。 それで、選挙が消えた。
領地。 パリ、オルレアン、サンリス、エタンプ。 イル・ド・フランス。 ノルマンディー公、アンジュー伯、ブロワ伯、 フランドル伯、アキテーヌ公。 どれもユーグより広かった。 「誰があなたを伯にしたのか」とユーグがアキテーヌ公に言い、 「誰があなたを王にしたのか」と返された、という話がある。
シャルルは991年、ランでランの司教に裏切られて捕えられ、 オルレアンの獄で死んだ。 カロリング家は、そこで終わった。
「カペー」。 カッパ(短いマント)を着ていたから、 あるいは、聖マルティヌスのマントを預かる修道院の長だったから。 本人の時代には、そう呼ばれていない。 ルイ16世は1793年、「ルイ・カペー」の名で裁かれた。 800年後の子孫として。