概要
道長の長男。26歳で摂政、50年関白。娘に皇子が生まれず、藤原を外戚としない後三条が即位した。宇治に退いて平等院。「宇治殿」。父の栄華を守って、終わらせた。83歳。
関わったできごと(1)
平等院鳳凰堂AD1053年(天喜元年) · 建てた本文
藤原道長の長男。母は源倫子。1017年、26歳で摂政。道長が死んだ1027年から、関白。50年。後一条、後朱雀、後冷泉の3代。
道長は娘3人を3人の天皇の后にして、3人の天皇の外祖父になった。頼通の娘は寛子と祐子内親王の養女で、后になったが、皇子が生まれなかった。頼通の弟の教通の娘も。藤原氏の娘に皇子が生まれなかったから、藤原氏でない母の後三条が皇太子になり、頼通は後三条を25年待たせて、待たせきれずに、1068年、後三条が即位した。頼通は関白を弟の教通に譲って、宇治へ退いた。
平等院。1052年、道長の別荘を寺にした。翌年、鳳凰堂。「宇治殿」。定朝の阿弥陀。宇治は頼通の街。
1074年、宇治で死んだ。83歳。妹の彰子(紫式部の主人)が同じ年に死んだ。87歳。
『栄花物語』は道長の栄華を書き、頼通で終わる。頼通は父の作った世界を50年守って、その世界が終わるのを見た。摂関政治は頼通で頂点で、頼通で終わった。次は院政。