概要
1944年9月15日、アメリカ軍はパラオ諸島のペリリュー島に上陸した。指揮官は数日で終わると見ていた。日本の守備隊は、珊瑚の岩山に掘った洞窟に潜み、水際で全滅する代わりに、じっくりと持ちこたえる戦い方をとった。戦いは二か月余り続き、守備隊一万人余りはほぼ全滅したが、アメリカ軍も多くの死傷者を出した。この戦い方は、硫黄島と沖縄で繰り返される。生き残った34人の兵は戦争が終わったことを信じず、1947年4月まで洞窟に隠れていた。島の人々は、戦いの前にほかの島へ移されていた。
場所
7.00°N 134.24°E · パラオ
本文
パラオ諸島の南の端にあるペリリュー島は、長さ9キロほどの珊瑚の島である。日本の海軍が大きな飛行場を築いていた。アメリカ軍は、フィリピンへ攻め込む際に横から突かれないよう、この飛行場を取ることにした。
日本の守備隊を率いた中川州男大佐は、それまでの島々の戦いと違う方針をとった。水際で上陸を食い止めようとして艦砲に打ち砕かれ、最後に突撃して全滅する、というやり方をやめたのである。島の中央の岩山に五百を超える洞窟を掘って互いにつなぎ、敵を引き込んでから撃つ。玉砕の突撃も禁じた。
アメリカの海兵隊の師団長は、二、三日で終わる激しいが短い戦いになると予想していた。9月15日に上陸した兵は、昼に四十度を超える暑さの中で、洞窟から撃たれ続けた。一つの洞窟を火炎放射器で焼いても、別の口から撃ってくる。海兵隊の一個師団は損害が大きすぎて島から引き揚げられ、陸軍の師団が替わった。11月24日、中川は自決し、27日に戦いは終わる。守備隊一万人余りのうち、生き残ったのは数百人だった。
この持久の戦い方は、硫黄島の戦いと沖縄戦で繰り返され、アメリカ軍に大きな損害を与えた。飛行場を取ったあとのフィリピンの戦いにとって、この島の価値はそれほど大きくなかった、という見方もアメリカ側にある。生き残った34人は、戦争が終わったことを信じずに洞窟に潜み続け、1947年4月、日本の元海軍少将に説かれてようやく出てきた。