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Event / できごと

サイパンの戦い

Battle of Saipan
AD1944年6月15日 – AD1944年7月9日
期間を持つできごと重要度 4
大英帝国ソビエト連邦オーストラリア中国の軍閥イギリス領インド帝国オランダ領東インド日本シャムマレーシアフランス領インドシナラオスフィリピンカンボジアコーチシナAD1944年6月15日サイパン島
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1944年6月15日の版図を描いています(14勢力)。

概要

1944年6月15日、アメリカ軍はマリアナ諸島のサイパン島に上陸した。日本が「絶対国防圏」の要とした島である。救いに向かった日本の艦隊は、6月19日からのマリアナ沖海戦で空母三隻と航空機の大半を失い、島は見捨てられた。7月7日、残った兵は最後の突撃をし、守備隊はほぼ全滅する。島には二万人を超える日本の民間人が暮らしていて、北の端の崖から身を投げた人を含め、一万人ほどが命を落とした。サイパンを失った責めを負って、東条内閣は倒れる。この島と隣のテニアン島から、B29が日本の本土を爆撃するようになった。

場所

サイパン島
15.19°N 145.75°E · アメリカ・北マリアナ諸島

本文

1943年9月、日本の大本営は、戦争を続けるために必ず守るべき線として「絶対国防圏」を定めた。千島から小笠原、マリアナ、カロリン、西ニューギニアを経てビルマに至る線である。マリアナ諸島のサイパン島は、その要だった。ここを取られれば、新しい爆撃機B29が日本の本土に届く。

1944年6月15日、アメリカ軍は五百隻を超える艦艇で押し寄せ、サイパンの西岸に上陸した。日本の連合艦隊は島を救うために出撃したが、6月19日からのマリアナ沖海戦で、発艦した機の多くがアメリカの戦闘機と対空砲に撃ち落とされた。アメリカの兵はこれを「マリアナの七面鳥撃ち」と呼んだ。大鳳、翔鶴、飛鷹の三隻の空母が沈み、日本の空母の機は事実上なくなった。

島の守備隊は北へ追い詰められ、7月7日、残った数千人が最後の突撃をした。組織だった戦いは9日に終わる。島には南洋興発の畑で働く人々など、二万人を超える日本の民間人がいた。追い詰められた人々のなかには、手榴弾で自ら命を絶ち、北端のマッピ岬の崖から海へ身を投げた人も多い。のちに「バンザイ・クリフ」と呼ばれる場所である。

7月18日、サイパンを失った責めを負って、東条英機の内閣は総辞職した。11月、サイパンを発ったB29が東京を初めて爆撃し、翌年3月の東京大空襲へつながっていく。隣のテニアン島の飛行場からは、1945年8月、原子爆弾を積んだ機が飛び立った。

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