概要
1944年6月15日、アメリカ軍はマリアナ諸島のサイパン島に上陸した。日本が「絶対国防圏」の要とした島である。救いに向かった日本の艦隊は、6月19日からのマリアナ沖海戦で空母三隻と航空機の大半を失い、島は見捨てられた。7月7日、残った兵は最後の突撃をし、守備隊はほぼ全滅する。島には二万人を超える日本の民間人が暮らしていて、北の端の崖から身を投げた人を含め、一万人ほどが命を落とした。サイパンを失った責めを負って、東条内閣は倒れる。この島と隣のテニアン島から、B29が日本の本土を爆撃するようになった。
場所
15.19°N 145.75°E · アメリカ・北マリアナ諸島
本文
1943年9月、日本の大本営は、戦争を続けるために必ず守るべき線として「絶対国防圏」を定めた。千島から小笠原、マリアナ、カロリン、西ニューギニアを経てビルマに至る線である。マリアナ諸島のサイパン島は、その要だった。ここを取られれば、新しい爆撃機B29が日本の本土に届く。
1944年6月15日、アメリカ軍は五百隻を超える艦艇で押し寄せ、サイパンの西岸に上陸した。日本の連合艦隊は島を救うために出撃したが、6月19日からのマリアナ沖海戦で、発艦した機の多くがアメリカの戦闘機と対空砲に撃ち落とされた。アメリカの兵はこれを「マリアナの七面鳥撃ち」と呼んだ。大鳳、翔鶴、飛鷹の三隻の空母が沈み、日本の空母の機は事実上なくなった。
島の守備隊は北へ追い詰められ、7月7日、残った数千人が最後の突撃をした。組織だった戦いは9日に終わる。島には南洋興発の畑で働く人々など、二万人を超える日本の民間人がいた。追い詰められた人々のなかには、手榴弾で自ら命を絶ち、北端のマッピ岬の崖から海へ身を投げた人も多い。のちに「バンザイ・クリフ」と呼ばれる場所である。
7月18日、サイパンを失った責めを負って、東条英機の内閣は総辞職した。11月、サイパンを発ったB29が東京を初めて爆撃し、翌年3月の東京大空襲へつながっていく。隣のテニアン島の飛行場からは、1945年8月、原子爆弾を積んだ機が飛び立った。