概要
19世紀の半ば、電信の線はヨーロッパの国境を越えて延びたが、国ごとに機械も料金も規則も違い、国境の局で電文を受け取っては打ち直さなければならなかった。1865年5月17日、ヨーロッパの20か国の代表がパリに集まり、電信の機械の規格、暗号の使い方、料金の決め方をそろえる条約に署名し、国際電信連合を作った。のちに無線の電波の割り当ても担うようになり、国際電気通信連合と名を変えた。いまある国際機関の中で最も古いものの一つで、国際電話の国番号や、衛星の軌道の割り当ても、ここで決められている。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
1840年代、モールスの電信が実用になると(モールスの電信)、電信の線は鉄道に沿って急速に延びた。だが、電信は国ごとにばらばらに作られた。使う機械も、符号も、料金の数え方も違った。国境まで来た電文は、そこで書き取られ、隣の国の局員の手で打ち直されて先へ送られた。時間がかかり、間違いも起きた。
1850年代から、隣り合う国どうしで電信の取り決めを結ぶ動きが出てきたが、国の数だけ取り決めが要った。1865年、フランスの皇帝ナポレオン3世の政府は、ヨーロッパの国々をパリに招いて会議を開いた。5月17日、20か国の代表が国際電信条約に署名し、国際電信連合が生まれた。
条約は、国際的な電信で使う機械の規格、モールスの符号、電文の書き方、料金の計算の仕方を決め、すべての人に国際的な電信を使う権利を認めた。暗号の電文を送ることも、一定の条件で許された。料金は、フランスの金貨フランを単位にして、国どうしで精算することにした。
20世紀に入ると、無線の電信が登場し、電波の取り合いが問題になった。船の無線の遭難の信号をそろえた1906年の会議(SOSの採用)などを経て、1932年、電信と無線の連合は一つにまとまり、国際電気通信連合と名を改めた。戦後の1947年に国際連合の専門機関となり、本部はスイスのジュネーヴに移った。
国際電気通信連合は、いまも、電波をどの用途にどれだけ割り当てるか、静止衛星をどの位置に置くか、国際電話の国番号(日本は81)をどうするか、携帯電話の規格をどうそろえるかを決めている。目立たないが、世界中の電話とインターネットと放送は、ここで決められた約束の上に成り立っている。10年後の1874年には、同じように郵便の決まりをそろえる万国郵便連合が作られた。