ラービアと神への愛
概要
報酬も罰も求めず、ただ神を愛するという考え方を説いた。天国を焼き地獄を消したいと言ったと伝わる。イスラームの神秘主義に「愛」が入った。
場所
30.51°N 47.78°E · イラク
関わった人(1)
ラービア・アル=アダウィーヤAD714年頃–AD801年 · 説いた本文
ラービア・アル・アダウィーヤは、8世紀のバスラに生きた女性である。バスラは、イラク南部、ペルシア湾に近い港町で、アッバース朝の初めには、交易と学問の町としてにぎわっていた(アッバース革命)。イスラームの法学や文法学が育ち、町の外の葦の原には、世を捨てて祈りに生きる禁欲者たちが集まった。彼女はその中で、最もよく知られた一人になった(ラービア・アル=アダウィーヤ)。
その生涯について確かなことは、ほとんど無い。伝承によれば、貧しい家の4番目の娘として生まれ、それで「4番目」を意味するラービアと名づけられた。両親を早く亡くし、飢饉の年に姉たちと離れ離れになり、さらわれて奴隷として売られた。昼は働き、夜は眠らずに祈った。ある夜、主人は祈る彼女の頭上に灯りが浮かんでいるのを見て、恐れて自由にしたという。

自由になってからは、町はずれで貧しく暮らし、祈りと断食に生きた。持ち物は、ござ一枚と水差し一つだったと伝えられる。施しを申し出る人がいても、神以外のものに頼りたくないと断った。結婚の申し込みも、いくつも断ったという。私の心は神のことでいっぱいで、ほかの者が入る場所はない、と。
彼女が説いたことは、それまでの禁欲者たちと違っていた。初期の禁欲者たちは、終末と地獄の罰を恐れて泣き、身を慎んだ。天国の喜びを望んで励む者もいた。ラービアは、そのどちらも、取り引きにすぎないと考えた。罰を恐れて、あるいは褒美を求めて神に仕えるのは、雇われ人と同じだ。神は、ただ神であるがゆえに愛されるべきだ。

その考えをよく表す逸話が残っている。ある日、彼女は片手に松明を、片手に水の桶を持って、バスラの町を走っていた。何をするのかと聞かれ、天国に火をつけ、地獄の火を水で消すのだと答えた。そうすれば、二つの覆いが取り払われ、人びとは天国を望むからでも地獄を恐れるからでもなく、ただ神のために神を拝むようになるだろう、と。
祈りの言葉も伝わっている。神よ、もし私が地獄を恐れてあなたを拝むなら、私を地獄で焼いてください。天国を望んで拝むなら、天国から締め出してください。でも、あなたご自身のために拝むのなら、あなたの永遠の美しさを私から隠さないでください。
ほかにも多くの逸話がある。巡礼に出たとき、メッカのカアバ神殿のほうから彼女を迎えに来たが、彼女は、私が求めているのは家ではなく家の主だ、と言ったという。高名な学者ハサン・アル・バスリーとのやりとりもよく語られるが、ハサンは彼女が若いころに亡くなっており、二人が言葉を交わした話の多くは後の創作と考えられている。
彼女の作とされる短い詩もある。私はあなたを二つの愛で愛する。一つは、私の思いから出る愛。もう一つは、あなたにこそふさわしい愛。前者は、あなたを思うことでほかのすべてを忘れる愛であり、後者は、あなたが覆いを取ってその姿を見せてくださる愛だ、と続く。自分の側から求める愛と、神の側から与えられる愛を分けて考えるこの見方は、のちの神秘家たちに受け継がれた。
ラービアは、9世紀の初めごろ、80歳を超えて世を去ったとされる。その考えは、イスラームの神秘主義、スーフィズムに「愛」という語を据えた。神への愛は、のちのスーフィーたちの中心の主題になる。ガザーリーは神への愛を論じ、13世紀のペルシアの詩人ルーミーは、神を恋人になぞらえて、愛の詩を書き続けた(ルーミー『精神的マスナヴィー』)。
ただし、彼女の生涯を伝える詳しい伝記は、ほとんどが死後数百年たってから書かれた。最もまとまったものは、13世紀のペルシアの詩人アッタールの聖者伝である。それより前の書物には、断片的な言葉が残るだけだ。どこまでが本人の言葉で、どこからが後の人びとが彼女に託した理想なのかは、分からない。それでも、身分の低い女性が、学者や男たちの上に立つ聖者として語り継がれたこと自体が、彼女の言葉が人びとの心に届いた証しになっている。