できごと

ラービアと神への愛

Rabi'a and the love of God
AD780年頃
重要度 3
カリフ国(正統・ウマイヤ・アッバース)古シベリアの狩猟採集民コイサンサハラの遊牧民西アフリカの穀作農民ササン朝ペルシアウイグル可汗国吐蕃吐蕃東ローマ帝国フランク王国ヒンドゥーの諸王国原スラヴ系の人びとウイグルクシュ系の人びとカルルクチャールキヤ朝カナウジシンド王国パーラ朝Baltsアヴァールマイトラカ朝ササン朝の従属国アクスム王国Ethiopian HIghland Peoplesハザール第一次ブルガリア帝国マクリアPallavasHejazアルワLombard principalitiesカピシャ国ヒンドゥーの諸国AuresNobatiaBegaMagyarsカシミール王国PolanesブレンミュエスKwarezmズンビール朝アランCuacasian AlbaniaSeveriansSabirsサクソン人Czechsチャーハマーナ朝FrisiansMazunシンハラAD780年頃バスラ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD780年頃の版図を描いています(54勢力)。

概要

報酬も罰も求めず、ただ神を愛するという考え方を説いた。天国を焼き地獄を消したいと言ったと伝わる。イスラームの神秘主義に「愛」が入った。

場所

バスラ
30.51°N 47.78°E · イラク

関わった人(1)

ラービア・アル=アダウィーヤAD714年頃–AD801年 · 説いた

本文

ラービア・アル・アダウィーヤは、8世紀のバスラに生きた女性である。バスラは、イラク南部、ペルシア湾に近い港町で、アッバース朝の初めには、交易と学問の町としてにぎわっていた(アッバース革命)。イスラームの法学や文法学が育ち、町の外の葦の原には、世を捨てて祈りに生きる禁欲者たちが集まった。彼女はその中で、最もよく知られた一人になった(ラービア・アル=アダウィーヤ)。

その生涯について確かなことは、ほとんど無い。伝承によれば、貧しい家の4番目の娘として生まれ、それで「4番目」を意味するラービアと名づけられた。両親を早く亡くし、飢饉の年に姉たちと離れ離れになり、さらわれて奴隷として売られた。昼は働き、夜は眠らずに祈った。ある夜、主人は祈る彼女の頭上に灯りが浮かんでいるのを見て、恐れて自由にしたという。

オイルターミナル
オイルターミナルWikimedia Commons USACE Photo by Lisa Coghlan, upload by user:wikifreund, germany · Public domain

自由になってからは、町はずれで貧しく暮らし、祈りと断食に生きた。持ち物は、ござ一枚と水差し一つだったと伝えられる。施しを申し出る人がいても、神以外のものに頼りたくないと断った。結婚の申し込みも、いくつも断ったという。私の心は神のことでいっぱいで、ほかの者が入る場所はない、と。

彼女が説いたことは、それまでの禁欲者たちと違っていた。初期の禁欲者たちは、終末と地獄の罰を恐れて泣き、身を慎んだ。天国の喜びを望んで励む者もいた。ラービアは、そのどちらも、取り引きにすぎないと考えた。罰を恐れて、あるいは褒美を求めて神に仕えるのは、雇われ人と同じだ。神は、ただ神であるがゆえに愛されるべきだ。

バスラの市街
バスラの市街Wikimedia Commons File:Basra city.jpg · Public domain

その考えをよく表す逸話が残っている。ある日、彼女は片手に松明を、片手に水の桶を持って、バスラの町を走っていた。何をするのかと聞かれ、天国に火をつけ、地獄の火を水で消すのだと答えた。そうすれば、二つの覆いが取り払われ、人びとは天国を望むからでも地獄を恐れるからでもなく、ただ神のために神を拝むようになるだろう、と。

祈りの言葉も伝わっている。神よ、もし私が地獄を恐れてあなたを拝むなら、私を地獄で焼いてください。天国を望んで拝むなら、天国から締め出してください。でも、あなたご自身のために拝むのなら、あなたの永遠の美しさを私から隠さないでください。

ほかにも多くの逸話がある。巡礼に出たとき、メッカのカアバ神殿のほうから彼女を迎えに来たが、彼女は、私が求めているのは家ではなく家の主だ、と言ったという。高名な学者ハサン・アル・バスリーとのやりとりもよく語られるが、ハサンは彼女が若いころに亡くなっており、二人が言葉を交わした話の多くは後の創作と考えられている。

彼女の作とされる短い詩もある。私はあなたを二つの愛で愛する。一つは、私の思いから出る愛。もう一つは、あなたにこそふさわしい愛。前者は、あなたを思うことでほかのすべてを忘れる愛であり、後者は、あなたが覆いを取ってその姿を見せてくださる愛だ、と続く。自分の側から求める愛と、神の側から与えられる愛を分けて考えるこの見方は、のちの神秘家たちに受け継がれた。

ラービアは、9世紀の初めごろ、80歳を超えて世を去ったとされる。その考えは、イスラームの神秘主義、スーフィズムに「愛」という語を据えた。神への愛は、のちのスーフィーたちの中心の主題になる。ガザーリーは神への愛を論じ、13世紀のペルシアの詩人ルーミーは、神を恋人になぞらえて、愛の詩を書き続けた(ルーミー『精神的マスナヴィー』)。

ただし、彼女の生涯を伝える詳しい伝記は、ほとんどが死後数百年たってから書かれた。最もまとまったものは、13世紀のペルシアの詩人アッタールの聖者伝である。それより前の書物には、断片的な言葉が残るだけだ。どこまでが本人の言葉で、どこからが後の人びとが彼女に託した理想なのかは、分からない。それでも、身分の低い女性が、学者や男たちの上に立つ聖者として語り継がれたこと自体が、彼女の言葉が人びとの心に届いた証しになっている。

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