← 地図で見る
Event / できごと

ランゴバルド王国の滅亡

Fall of the Lombard Kingdom
AD774年
重要度 4

概要

カールが教皇の求めでアルプスを越え、パヴィアを9か月囲んで王デシデリウスを修道院に送った。「ランゴバルドの王」を兼ねた。妃はデシデリウスの娘だった。離縁していた。200年の王国が終わり、フランクがイタリアに入り、教皇領の形が決まった。

場所

パヴィア
45.19°N 9.16°E · イタリア

関わった人(1)

カール大帝AD748年頃–AD814年 · 王を兼ねた

本文

ランゴバルド。568年、アルボイン。 「イタリアの3分の2」。 「教皇とビザンツが残りを」。 「ラヴェンナ」。「ローマ」。 751年、アイストゥルフがラヴェンナを取った。 教皇ステファヌス2世。「ピピンに」。 754年、756年。ピピンがアルプスを越えて、アイストゥルフを退けて、ラヴェンナを教皇に。 「ピピンの寄進」。 デシデリウス。 「娘をカールとカールマンに」。 770年。カールがデシデラータ(名は伝説)を。 771年、カールマンが死んだ。妻ゲルベルガと子がデシデリウスの所へ。 「カールマンの子を、フランク王に」。 カールは妻を返した。 772年、ハドリアヌス1世。「デシデリウスが教皇領を」。 773年、カール。 「モン・スニ」。 「グラン・サン・ベルナール」。 ヴェローナ。 パヴィア。 9か月。 774年6月。 デシデリウスが降った。コルビー修道院へ。 「レックス・フランコルム・エト・ランゴバルドルム」。 「フランク人とランゴバルド人の王」。 「鉄の冠」。モンツァ。 「ランゴバルドの貴族は、残った」。 「ベネヴェント公国は、残った。1077年まで」。 「教皇領」。 「カールは、ローマに行った。復活祭。ハドリアヌスと。『ピピンの寄進』を確認した」。 「教皇は、カールの下に」。 「イタリア王」。 「ピピン(息子)」。781年。 「800年」。 「ランゴバルドの法は、残った。『ロタリ王の法典』。11世紀まで」。 「ロンバルディア」。 「ランゴバルドが名を残した」。 「ロンバルド街」。ロンドン。 「銀行」。 「ランゴバルド人が、両替商に」。 「ロンバルディア」。 「ミラノ」。 「1176年、レニャーノ。ロンバルディア同盟」。 「バルバロッサ」。 「ランゴバルドの王が、パヴィアで、フランクの王に、9か月」。 「パヴィアは、いまも、ロンバルディアの街」。 「サン・ピエトロ・イン・チェル・ドーロ。アウグスティヌスとボエティウスの墓」。 「ランゴバルドの王リウトプランドが、アウグスティヌスの骨を、サルデーニャから」。 「722年」。

同じ時代のできごと

『万葉集』の成立AD759年頃コパンの階段碑文AD755年安史の乱755年馬嵬の変AD756年ピピンの寄進AD756年バグダードの建設AD762年マンスールのバグダード建設AD762年吐蕃の長安占領AD763年