マンスール
概要
アッバース朝の第二代で、実質の建設者。革命の功臣アブー・ムスリムを殺し、アリー家の反乱を潰し、ティグリスの西岸に円い都を建てた。倹約で、「一銭の父」とあだ名された。
所属
カリフ国(正統・ウマイヤ・アッバース)関わったできごと(1)
バグダードの建設AD762年 · 建てた本文
マンスールは、アッバース朝の第二代カリフである。本名はアブー・ジャアファル・アブドゥッラー。マンスールは「(神に)勝利を与えられた者」を意味する称号である。年下の兄弟から受け継いだばかりの不安定な王朝を、敵も味方も容赦なく排除して固め、ティグリス川のほとりに新しい都バグダードを築いた。アッバース朝の実質的な建設者と呼ばれる。

714年ごろ、いまのヨルダン南部の村フマイマで生まれた。アッバース家は預言者ムハンマドの叔父アッバースの子孫で、ウマイヤ朝の支配の下、この辺境の村でひそかに勢力を蓄えていた。母のサッラーマはベルベル人の奴隷の女性だった。のちに、母を奴隷に持つことは、彼の血筋をとがめる口実にも使われた。
750年、東方のホラーサーンで挙兵したアッバース家の運動はウマイヤ朝を倒した(アッバース革命)。初代カリフになったのはマンスールより年下の異母弟サッファーフで、マンスールは弟を助けて各地の平定に当たった。754年、サッファーフが30代の若さで死ぬと、マンスールがカリフの位を継いだ。

すぐに二つの脅威が現れた。一つは叔父のアブドゥッラー・イブン・アリーで、自分こそカリフにふさわしいとしてシリアで兵を挙げた。もう一つは、革命の最大の功労者アブー・ムスリムである。ホラーサーンの軍を率いて革命を成功させたこの将軍は、東方に絶大な人気を持っていた。マンスールはまずアブー・ムスリムに叔父を討たせた。叔父は敗れ、のちに幽閉されて死んだ。
そのうえで755年、マンスールはアブー・ムスリムを自分の陣営に呼び寄せた。アブー・ムスリムは何度もためらった末にやって来た。マンスールは彼の過去の振る舞いを一つずつ責め立て、合図とともに、隠れていた護衛たちが斬りかかった。遺体は絨毯に巻かれたと伝えられる。マンスールはアブー・ムスリムの部下たちに金を配って鎮め、反乱を防いだ。王朝を作った男を、王朝の二代目が殺したのである。

次に立ちはだかったのは、預言者の娘婿アリーの子孫たちだった。アッバース家は革命のとき、「預言者の一族」の名で人々を集めた。アリーの子孫を支持する人々の多くは、その中に自分たちの指導者が入ると期待していた。762年、「純粋な魂」と呼ばれたアリーの子孫ムハンマドがメディナで、その弟イブラーヒームがバスラで反乱を起こした。マンスールは軍を送って二人をともに討ち取った。アッバース家とアリーの子孫を支持するシーア派との溝は、ここで決定的になった。
同じ762年、マンスールは新しい都の建設を始めた(バグダードの建設)。ティグリス川とユーフラテス川が最も近づくあたりで、運河で両方の川とつながり、東西の交易路が交わる地点だった。都は二重の城壁に囲まれた円形で、四つの門から道が中心へ延び、中心にはカリフの宮殿と大モスクが置かれた。正式には「平安の都」と名づけられた。建設の開始の日取りは、天文学者たちが星を見て選んだという。こうした学者たちの中から、インドやペルシアやギリシアの学問の翻訳が始まり、のちのバグダードの知恵の館につながっていく。

マンスールは、王朝の統治の仕組みも整えた。ペルシアの伝統を受け継いだ官僚を用い、地方の総督や役人を厳しく監督した。各地を結ぶ駅伝の制度を使って、総督の動きや市場の物価まで、毎日のように報告を上げさせたと伝えられる。
彼の倹約ぶりは有名だった。宴をめったに開かず、自ら帳簿に目を通し、わずかな出費まで問いただした。そのため人々は彼を、最も小さな銀貨の単位を取って「小銭の父」とあだ名した。死んだとき、国庫には莫大な金と銀が残されていたという。
宗教の学者たちとの関係は、緊張をはらんでいた。法学者アブー・ハニーファは、マンスールが求めた裁判官の職を拒み、獄中で死んだと伝えられる。メディナの法学者マーリク・イブン・アナスは、反乱のさなかに総督によって鞭打たれた。その一方でマンスールは、マーリクに、帝国全体で使える法の書をまとめるよう求めたとも言われる。マーリクの『ムワッタア』は、のちにスンナ派の四つの法学派の一つの土台となった。
775年、マンスールはメッカへの巡礼の途中、聖地を目前にして病に倒れ、死んだ。60歳前後だった。墓を荒らされないよう、百もの墓穴を掘らせ、そのうちのどれか一つにひそかに葬った、という話が伝わっている。

マンスールの子マフディーが跡を継ぎ、孫の代にハールーン・アッラシードが出た(ハールーン・アッラシードの治世)。その後500年近く続いたアッバース朝のカリフたちは、すべてマンスールの子孫である。円い都の城壁はいまのバグダードには残っていない。だがこの都は、彼の死後まもなく、世界でも指折りの大都市になった。