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Event / できごと

グランドツアー

Grand Tour
AD1670年
重要度 3
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概要

17世紀の後半から18世紀にかけて、イギリスの貴族や富裕な家の若者たちは、学業の仕上げとして、家庭教師を連れてフランスとイタリアを1年から数年かけて巡った。パリで社交と言葉を学び、アルプスを越えて、フィレンツェ、ヴェネツィア、ローマ、ナポリで古代の遺跡とルネサンスの美術を見る。この旅は「グランドツアー」と呼ばれた。若者たちは古代の彫刻や風景画を買って帰り、故郷に古典様式の屋敷を建てた。旅はイギリスの趣味と教養を形作ったが、異国での放蕩の場でもあった。鉄道と団体旅行の時代が来ると、こうした長い旅はすたれた。

場所

ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州

本文

17世紀のイギリスの上流の家では、息子に古典の教養を身につけさせることが重んじられていた。ラテン語の詩と歴史を学んだ若者が、その舞台であるイタリアを自分の目で見ることは、教育の仕上げと考えられた。1670年、旅行案内書を書いたリチャード・ラッセルズは、こうした旅を「グランドツアー」と呼んだ。

典型的な旅は、20歳前後の若者が、家庭教師を兼ねた付き添いと召使いを連れて、ドーヴァーから海峡を渡るところから始まった。まずパリで、フランス語、乗馬、剣術、ダンス、宮廷の礼儀を学ぶ。それから馬車や輿でアルプスを越えるか、地中海を船で渡ってイタリアに入る。フィレンツェではメディチ家の集めた美術を、ヴェネツィアでは謝肉祭とオペラを、ローマではコロッセオや古代の彫刻、ルネサンスとバロックの名作を見た。ナポリでは、ヴェスヴィオ火山に登り、18世紀の半ばから掘り出されたポンペイとヘルクラネウムの遺跡を訪ねた。旅は1年から、長ければ数年に及んだ。

旅人たちは土産を買い込んだ。ヴェネツィアの風景を描いたカナレットの絵、ローマで古代の遺跡を背景に描かせたバトーニの肖像画、本物か贋物か分からない古代の彫刻や壺。それらは故郷の屋敷の広間を飾った。イタリアで見た古代とパラディオの建築を手本に、イギリスの田園には新古典様式の邸宅と庭園が次々に建てられた。グランドツアーは、イギリスの貴族の趣味と、ヨーロッパの新古典主義の流行を形作った。

旅には、異国での放蕩という面もあった。親の目の届かない若者たちは、賭博や恋愛にふけり、借金と病気を抱えて帰ることも珍しくなかった。旅から戻ってイタリア風の服装と言葉づかいを気取る若者は「マカロニ」とからかわれた。旅をしたのはイギリス人だけではなく、ドイツのヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテも1786年から2年近くイタリアを旅し、『イタリア紀行』を書いている。

18世紀の末、フランス革命とナポレオン戦争で大陸の旅が難しくなると、グランドツアーは途絶えた。戦争が終わって旅が戻ったころには、蒸気船と鉄道が旅を速く安くし、トマス・クックの団体旅行(団体旅行)とベデカーの案内書(ガイドブック)が、中流の人々にもヨーロッパの旅を開いた。数年かけて貴族が巡る旅は、観光の時代に席を譲った。

同じ時代のできごと

おみくじAD17世紀駕籠と輿AD17世紀時の鐘AD17世紀『リヴァイアサン』AD1651年由井正雪の乱AD1651年(慶安4年)ケープ植民地の設置AD1652年玉川上水AD1653年タージ・マハルの完成AD1653年
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