できごと

『リヴァイアサン』

Leviathan published
AD1651年
重要度 5
ロシア帝国スペイン帝国ポルトガル帝国オスマン帝国サファヴィー朝大英帝国ネーデルラント連邦共和国スウェーデン帝国モロッコポーランド・リトアニア共和国ポーランド・リトアニア共和国デンマーク=ノルウェー神聖ローマ帝国フランス王国スペインEngland and Irelandヴェネツィア共和国ScottalndNaplesルクセンブルクFinnmarkプロイセンAD1651年ロンドン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1651年の版図を描いています(22勢力)。

概要

内戦の間、パリに亡命していたホッブズが書いた。自然状態は「万人の万人に対する闘争」で、人の生は「孤独で、貧しく、汚く、残忍で、短い」。人々は互いに契約して、全ての権利を一人の主権者に渡す。国家は人工の巨人。表紙の巨人は無数の小さな人でできている。王党派は無神論だと言い、議会派は王権論だと言った。近代の政治哲学の最初。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

関わった人(1)

トマス・ホッブズAD1588年4月5日–AD1679年12月4日 · 書いた

本文

トマス・ホッブズは1588年、スペインの無敵艦隊が来るという噂の中で生まれた。母は恐怖のあまり早産し、自分と恐怖とを双子として産んだのだ、と彼は晩年のラテン語の自伝詩に書いている。恐怖から逃れて生きのびたいという思いは、彼の政治の思想の芯にあった。オックスフォードで学んだあと、貴族キャヴェンディッシュ家の家庭教師となり、若い主人の供をして大陸を旅した。40歳を過ぎてからユークリッドの幾何学に出会って夢中になり、すべてを定義から一歩ずつ導く方法で、人間と国家を論じようと考えるようになる。

1640年、国王チャールズ1世と議会の対立が深まり、内戦の気配が濃くなると、王の権力を擁護する文章を回覧していたホッブズは、身の危険を感じてパリへ渡った。のちに彼は、自分は真っ先に逃げた者だったと書いている。パリでは、神父メルセンヌのまわりに集まる学者たちと交わり、ルネ・デカルトの『省察』に反論を寄せ、1646年からは亡命してきた王太子チャールズ(のちのチャールズ2世)に数学を教えた。その間に故国では内戦が王の敗北に終わり(清教徒革命と国王処刑)、1649年1月、チャールズ1世は首を斬られた(チャールズ1世の処刑)。

清教徒革命と国王処刑に関わる図版:Battle of Naseby, hand-coloured copper engraving
清教徒革命と国王処刑Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

1651年、ロンドンの書店主アンドリュー・クルックから『リヴァイアサン』が出版された。正しくは『リヴァイアサン、あるいは教会的および市民的なコモンウェルスの素材、形体、権力』という。リヴァイアサンは、旧約聖書のヨブ記に出てくる巨大な海の怪物の名である。

表紙の絵は、それだけで本の主張を語っている。丘の向こうから、王冠をかぶった巨人が上半身を現し、右手に剣、左手に司教の杖を握って、町と田園を見下ろす。よく見ると、巨人の体は、巨人のほうを向いた無数の小さな人々でできている。下の段には、城や大砲や戦場といった世俗の力のしるしと、教会や司教冠や宗教会議といった教会の力のしるしが、左右に並べられている。上には、地上に彼と並ぶ力は無い、というヨブ記の一節が掲げられた。版画はフランスの版画家アブラハム・ボスがホッブズと相談して作ったと考えられている。

アブラハム・ボスによる『リヴァイアサン』の表紙。上部に描かれた巨大な支配者の身体は多数の人間から構成されている。
アブラハム・ボスによる『リヴァイアサン』の表紙。上部に描かれた巨大な支配者の身体は多数の人間から構成されている。Wikimedia Commons Abraham Bosse · CC0

本はまず人間から始まる。感覚、想像、言葉、理性、情念。ホッブズは人間を、欲望と恐怖に動かされる精巧な機械のように描いた。有名な第13章で、彼は国家の無い状態、すなわち自然状態を考える。人間は、体の力でも知恵でも、互いにおおよそ等しい。いちばん弱い者でも、策略や仲間を使えば、いちばん強い者を殺せる。だから誰もが誰もを恐れ、先手を打とうとする。そこにあるのは万人の万人に対する戦いである。そこでは努力の実りが確かでないから、農業も、航海も、建築も、学問も、芸術も無い。何より、絶えざる恐怖と、暴力による死の危険がある。人間の生は、孤独で、貧しく、汚く、残忍で、短い。

そこから抜け出すために、人々は互いに約束する。あなたも同じことをするなら、私も自分を治める権利をこの人、あるいはこの合議体に譲り渡そう、と。こうして生まれる主権者こそが、表紙の巨人、コモンウェルスであり、ホッブズはそれを「死すべき神」と呼んだ。主権者は約束の当事者ではないから、約束に縛られない。主権は分けることができず、臣民には反乱の権利が無い。主権者が法を作り、財産を定め、正しい教えを決める。ただ、自分の命を守る権利だけは誰にも譲り渡せず、主権者が臣民を守れなくなれば、服従の義務も消える。

『リヴァイアサン』の扉絵
『リヴァイアサン』の扉絵Wikimedia Commons Abraham Bosse · Public domain

本の後半の半分近くは、宗教と教会に費やされている。教会は主権者の下に置かれるべきであり、聖職者が国家と別の権威を主張することが、内戦の原因だったとホッブズは考えた。ローマ教皇の権威を、滅んだローマ帝国の亡霊がその墓の上に冠をかぶって座っているものだ、と皮肉った一節はよく知られている。

この本は、あらゆる陣営を怒らせた。王党派は、王の権力を神からではなく人々の約束から導いたことに反発し、守ってくれない主権者には従わなくてよいという理屈が、クロムウェルの新しい政府への服従を正当化しているように読めることを嫌った。議会派は絶対の主権という主張を嫌い、聖職者たちは、魂さえも物体として語るこの本に無神論と唯物論のにおいを嗅ぎ取った。亡命宮廷でも居場所を失ったホッブズは、1651年の暮れにイングランドへ帰り、共和国の政府に従った(オリヴァー・クロムウェル)。

『リヴァイアサン』1904年版
『リヴァイアサン』1904年版Wikimedia Commons Hobbes, Thomas · Public domain

1660年に王政が戻ると、かつての教え子チャールズ2世はホッブズを宮廷に迎えて年金を与え、宮廷の才人たちと言い争う彼を熊にたとえて面白がったと伝えられる。だが、ペストと大火の災いが続いた1666年、下院は無神論の書物を調べる委員会を作り、『リヴァイアサン』もその対象になった。王の庇護で処罰は免れたが、国内で政治や宗教の本を出すことは事実上できなくなった。ホッブズは1679年、91歳で亡くなった。その4年後、オックスフォード大学は危険な書物の一つとして彼の本を焼いている。

それでも『リヴァイアサン』は、近代の政治哲学の出発点になった。国家を神の定めや自然の秩序ではなく、人々の合意から作られた人工物として説明するという発想は、のちにまったく違う結論に向かうジョン・ロックのロック『統治二論』にも、ジャン=ジャック・ルソーのルソー『社会契約論』にも受け継がれた。国家の無い世界がどれほど恐ろしいか、秩序の代わりに何を差し出すのか、という問いは、国際政治の現実主義の議論にも生きている。

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