ドイツ帝国の成立
概要
プロイセンがフランスを破り、ヴェルサイユ宮殿で帝国の成立を宣言した。ヨーロッパの均衡が崩れる。
場所
48.80°N 2.12°E · フランス
関わった人(2)
ビスマルクAD1815年4月1日–AD1898年 · 主導ヴィルヘルム1世AD1797年3月22日–AD1888年3月9日 · 皇帝本文
1871年1月18日の正午、フランスのヴェルサイユ宮殿の鏡の間に、ドイツ諸邦の君主と軍の将校たちが集まった。外では、まだパリの包囲が続いていた。その場でプロイセン王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝となることが宣言された。この日は、170年前にプロイセンが王国になった記念日でもあった。かつてルイ14世が権勢を誇った宮殿で、敗れたフランスを前にして、新しい帝国が生まれたのである。
ドイツは長く、一つの国ではなかった。中世以来の神聖ローマ帝国は、数百の領邦や都市の寄り合いで、ナポレオンとの戦争のさなかの1806年に消滅した。1815年のウィーン会議の後は、オーストリアとプロイセンを含む39の君主国と自由都市が、ゆるやかなドイツ連邦を作った。経済の面では、1834年にプロイセンを中心とする関税同盟が発足し、オーストリア抜きで市場の統合が進んでいく。
国民の手で統一をめざす試みもあった。1848年革命の中で、フランクフルトに各地から選ばれた議員が集まり、憲法を作ってプロイセン王に皇帝の冠を差し出した。だがフリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、民衆の議会から与えられる冠を受けることを拒んだ。統一は、下からではなく、上から、プロイセンの軍事力によって成し遂げられることになる。

その中心にいたのがビスマルクだった。1862年、軍の拡張をめぐって王と議会が対立する中、首相に起用されたビスマルクは、議会の予算委員会で、現在の大問題は演説や多数決によってではなく、鉄と血によって解決される、と述べた。議会の承認を得ないまま、軍の改革は進められた。
ビスマルクは、三つの戦争を順に使った。1864年、デンマークとの間でシュレスヴィヒとホルシュタインの両公国をめぐる戦争が起きると、オーストリアを誘って共に戦い、勝って両公国を共同で管理した。1866年には、その管理をめぐる争いからオーストリアと開戦し、7月のケーニヒグレーツの戦いで決定的に勝った。戦争は7週間ほどで終わった。オーストリアはドイツの問題から締め出され、プロイセンはマイン川より北の諸邦をまとめて北ドイツ連邦を作った。

残るは、カトリックの多い南ドイツの諸邦だった。彼らを引き寄せるには、共通の敵が要る。1870年、スペインの王位にプロイセン王家の親族が推されたことにフランスが強く抗議し、温泉地エムスで静養していたヴィルヘルム1世のもとへフランスの大使が詰め寄った。王からその報告の電報を受けたビスマルクは、文面を短く削って、王が大使を冷たく突き放したように読める形にして新聞に公表した。フランスの世論は激高し、7月、フランスはプロイセンに宣戦した。
南ドイツの諸邦は、プロイセンとの同盟に従って参戦した。9月、セダンでフランス軍は包囲されて降伏し、皇帝ナポレオン3世は捕虜になった。パリでは帝政が倒れて共和政が宣言され、抵抗が続いたが、ドイツ軍はパリを包囲した。共に戦った高揚の中で、南ドイツの諸邦は北ドイツ連邦と合わさり、帝国が成立した。

宣言の当日にも、ひと悶着があった。ヴィルヘルム1世は、プロイセン王であることに誇りを持ち、新しい称号を喜んでいなかった。「ドイツ皇帝」か「ドイツの皇帝」かをめぐってビスマルクと前日に言い争い、式の後もしばらくビスマルクと口をきかなかったと伝えられる。宣言の場面は、のちに画家アントン・フォン・ヴェルナーの大作によって、白い軍服姿のビスマルクを中心に描かれ、広く知られることになった。
5月のフランクフルト講和で、フランスはアルザスとロレーヌの一部を割譲し、50億フランの賠償を払うことになった。この領土を失った恨みが、フランスの対独感情を半世紀にわたって規定した。帝国は22の君主国と3つの自由都市などからなる連邦で、人口の約3分の2をプロイセンが占めた。帝国議会は男子の普通選挙で選ばれたが、宰相は議会ではなく皇帝に対して責任を負った。

ヨーロッパの真ん中に、人口でも工業力でも抜きん出た国が生まれたことで、勢力の均衡は崩れた。ビスマルク自身はそれをよく分かっていた。統一の後は、ドイツはもう領土を求めない満ち足りた国だと言い、フランスを孤立させるために、オーストリア、ロシア、イタリアと同盟や協定を幾重にも結んだ。国内では、カトリック教会と対立した文化闘争や社会主義者の弾圧を進める一方で、ビスマルクの社会保険を整え、労働者を国家に引きつけようとした。
その網を解いたのは、次の世代だった。1888年に即位した若い皇帝ヴィルヘルム2世は、1890年にビスマルクを辞任に追い込み、ロシアとの秘密の協定を更新しなかった。孤立していたフランスは、ほどなくロシアと同盟を結ぶ。ドイツは東西を挟まれる形になり、海軍の拡張はイギリスを警戒させた。帝国の成立から43年後の1914年、第一次世界大戦が始まる。

1919年、その戦争に敗れたドイツは、同じヴェルサイユ宮殿の鏡の間でヴェルサイユ条約に署名させられた。帝国が生まれた広間で、帝国の敗北が確定したのである。