できごと

『デカメロン』

The Decameron
AD1353年
重要度 4
『デカメロン』に関わる図版:Boccaccio - Decameron, MCCCCLXXXXII ad di XX de giugno - 3852856 Scan00015
Boccaccio - Decameron, MCCCCLXXXXII ad di XX de giugno - 3852856 Scan00015 Wikimedia Commons Boccaccio, Giovanni · Public domain

概要

黒死病のフィレンツェから逃げた十人の男女が、十日で百の話をする。序文の疫病の記述は目撃の記録として読まれる。ラテン語でなくトスカーナ語の散文で、俗な話を上品に書いた。チョーサーがこれを写す。

場所

フィレンツェ
43.77°N 11.26°E · イタリア・トスカーナ州

関わった人(1)

ボッカッチョAD1313年–AD1375年12月21日 · 作者

本文

1348年、黒死病がフィレンツェを襲った。数か月のうちに町の人口の半分ほど、一説に5万から6万人が死んだとされる。その春、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会で出会った七人の若い女性と三人の若い男性が、死の町を逃れて郊外の丘の館へ移り、気晴らしに物語を語り合う。ジョヴァンニ・ボッカッチョの『デカメロン』は、こうして始まる。

題名はギリシア語で「十日」を意味する。十人は毎日交代で一人が女王か王になり、その日の話の題を決め、一人が一話ずつ語る。十日で百話。滞在は実際には二週間ほどに及ぶが、金曜と土曜は祈りと身支度のために語りを休むので、語る日は十日になる。

「デカメロン」ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作(1916)
「デカメロン」ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作(1916)Wikimedia Commons John William Waterhouse · Public domain

ボッカッチョは1313年ごろに生まれ、若い日々をナポリで過ごした。父はフィレンツェの大きな銀行の代理人で、息子にも商売を継がせようとしたが、ボッカッチョが心を寄せたのは文学だった。黒死病が来たとき、彼は三十代の半ばで、フィレンツェにいたとみられる。父もこの疫病の時期に亡くなっている。『デカメロン』は1349年から1353年ごろにかけて書かれた。

物語の前に置かれた疫病の描写は、目撃した者の記録として、いまも歴史家に読まれている。股の付け根や脇の下に、林檎か卵ほどの腫れ物ができ、やがて体に黒い斑点が広がって、多くはその三日以内に死ぬ。病人の着ていたぼろ布を道で鼻で突いた二匹の豚が、その場で倒れて死ぬのを見た、とボッカッチョは書く。人びとは病人を見捨て、兄が弟を、妻が夫を、親が子をさえ置き去りにした。墓地に入りきらない死者は、大きな穴に船荷のように重ねて投げ込まれた。祈りに救いを求める者もいれば、どうせ死ぬならと昼も夜も飲み歩く者もいた。社会の絆がほどけていく様子が、冷静な筆で書き留められている。

『デカメロン』の語り手の一人である「ラウエッタ」ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル作
『デカメロン』の語り手の一人である「ラウエッタ」ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル作Wikimedia Commons Jules Lefebvre · Public domain

その暗い序章のあとに続く百の話は、驚くほど明るい。悪党の公証人が臨終の偽りの告白で聖人に祭り上げられる話、修道士や聖職者の偽善を笑う話、夫を出し抜く妻たちの機知、商人たちの抜け目なさ。悲しい恋の話もある。娘の恋人を殺してその心臓を金の杯で娘に送る父の話、殺された恋人の首を鉢に埋めてバジルを育てる娘の話。最後の第十日の結びには、夫の残酷な試練に耐え抜く妻グリゼルダの物語が置かれた。人間の欲と知恵と愛を、聖人ではなく町の人びとの姿で描いた本だった。

書かれた言葉も新しかった。学問と教会の言葉であるラテン語ではなく、フィレンツェの人びとが話すトスカーナの言葉の散文で書かれ、その文体はのちのイタリア語の散文の手本とされた。ボッカッチョは、先輩のダンテ・アリギエーリを深く敬い、その長い詩に「神聖な」という形容を添えて呼んだ。のちに作品が『神曲』の題で知られるようになるのは、これに由来する。晩年には、フィレンツェで公にダンテの講義もしている。友人のペトラルカは、グリゼルダの話をラテン語に訳して広めた。

『神曲』に関わる図版:Dante Domenico di Michelino
『神曲』Wikimedia Commons Domenico di Michelino / After Alesso Baldovinetti · Public domain

本は写本で急速に広まり、イタリアの外にも影響を及ぼした。イングランドのチョーサーは、旅の人びとが順に話を語るという枠組みを『カンタベリー物語』で用い、グリゼルダの話も取り込んだ。ウィリアム・シェイクスピアは『終わりよければすべてよし』や『シンベリン』の筋を、この本の話から得ている。ただし、晩年のボッカッチョは、俗な話を書いたことを悔いるような手紙も残している。16世紀、教会は『デカメロン』を禁書の目録に載せ、聖職者を笑う部分を書き換えた版が出回った。

20世紀には、イタリアの映画監督パゾリーニが1971年に映画にした。そして2020年、新しい感染症で世界の町が静まり返ったとき、疫病を逃れて物語を語り合う十人の若者の本は、もう一度多くの人に読まれた。

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