概要
国分寺の総本山として、都の東大寺に巨大な盧舎那仏を造ることになった。聖武天皇は、一枝の草、一握りの土を持ち寄ってでも力を貸したい人は加わってよい、と呼びかける。朝廷に弾圧されていた僧の行基が、民衆を率いて協力した。銅四百トン以上を使い、延べで二百六十万人が関わったとされる。752年、インドから来た僧が筆で仏の目を描き入れる開眼の儀式を行い、一万人の僧が集まった。国の財政は大きく傾いた。
場所
平城京
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県
関わった人(2)
行基AD668年–AD749年 · 民衆を率いて協力聖武天皇AD701年–AD756年 · 発願本文
一枝の草、一握りの土。
国分寺の総本山として、都の東大寺に巨大な盧舎那仏を造る。
(1)聖武天皇は呼びかけた。
一枝の草、一握りの土を持ち寄ってでも、力を貸したい人は加わってよい。
(2)そして、朝廷に弾圧されていた僧の行基が、民衆を率いて協力した。
二百六十万人。
銅四百トン以上を使った。
(1)延べで二百六十万人が関わったとされる。
(2)そして、752年、インドから来た僧が、筆で仏の目を描き入れた。
(3)さらに、開眼の儀式に、一万人の僧が集まった。
残ること。
国の財政は、大きく傾いた。
(1)大仏は、のちの戦乱で二度焼けた。
(2)そして、そのたびに東大寺の再建された。
(3)さらに、正倉院の楽器の宝物は、この儀式の品を多く含む。