できごと

正倉院の楽器

The instruments of the Shosoin
AD756年
重要度 4
古シベリアの狩猟採集民唐ツングース系の人びとウイグル可汗国吐蕃吐蕃渤海ウイグルカルルク南詔と大理高句麗タイ系の諸王国日本Nan-Zhaoアイヌ新羅ヒンドゥーの諸国真臘チャンパドヴァーラヴァティーAD756年奈良
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD756年の版図を描いています(20勢力)。

概要

聖武天皇の四十九日に、光明皇后が遺愛の品を東大寺に納めた。その中に楽器が18種75件あった。螺鈿紫檀五絃琵琶(世界に現存する唯一の五絃琵琶。インド起源で、ペルシアと唐を経て来た)、漆胡瓶、箜篌(ハープ)、尺八、方響。国家が管理する倉に、1250年、風だけが通る校倉で保たれた。同じ時代のものが、原産地のどこにも残っていない。

場所

奈良
34.69°N 135.81°E · 奈良県

本文

756年(天平勝宝8歳)5月、聖武天皇が50代の半ばで世を去った。仏教をあつく信じ、東大寺に巨大な盧舎那仏を造らせた天皇である。その四十九日にあたる6月21日、妻の光明皇后は、夫が身の回りで愛用した品々を東大寺の大仏に献じた。目録の『東大寺献物帳』(国家珍宝帳とも呼ばれる)には、600点を超える品が書き上げられている。同じ日には60種の薬も献じられ、その後も何度かにわたって献納が続いた。これらを納めたのが、大仏殿の北西に建つ大きな倉、正倉院である。

正倉院は、断面が三角形の木材を井桁に組み上げた校倉造の建物で、床を高く上げて地面の湿気を避けている。雨の日には木が湿気を吸って膨らんで隙間をふさぎ、晴れた日には縮んで風を通すので中の品が守られた、と長く説明されてきた。近年の調べでは、宝物を収めた杉の唐櫃が、外の湿度の急な変化を和らげたことのほうが大きかったと考えられている。

献物帳 国家珍宝帳 冒頭
献物帳 国家珍宝帳 冒頭Wikimedia Commons edited by Imperial Agency · Public domain

宝物の中で、とりわけ人目を引くのが楽器である。およそ18種、75点が伝わる。その筆頭が、螺鈿紫檀五絃琵琶だ。長さ108センチほど。南方から運ばれた紫檀の胴に、夜光貝や琥珀、鼈甲で、南国の花や鳥がちりばめられている。撥が当たる部分には、ラクダの背に乗って琵琶を弾く人物が描かれ、背後には熱帯の木が茂る。五絃の琵琶はインドで生まれ、中央アジアを経て唐に伝わった楽器とされるが、インドにも中国にも実物は一つも残っていない。この一面が、世界で唯一の現存例である。

四絃の琵琶も数面あり、丸い胴をもつ阮咸と呼ばれる琵琶も残る。弦をはじく竪琴の箜篌は、西アジアで生まれたハープが東へ伝わったものだが、残っているのは壊れた部材だけで、当時の姿は復元によって知られる。竹や玉、象牙で作られた尺八は8本ある。指で押さえる穴が表に5つ、裏に1つの6孔で、いまの尺八とは系統の違う楽器だった。長方形の鉄板を音の高さの順に吊るして打つ方響、竹管を並べた排簫、朝鮮半島から来た新羅琴、日本古来の和琴、笙や横笛、腰に下げて打つ鼓の胴も伝わっている。

赤漆文欟木御厨子
赤漆文欟木御厨子Wikimedia Commons Imperial Agency, Japan · Public domain

楽器とともに、それを使った芸能の道具も残った。伎楽の面である。伎楽は、612年に百済から来た味摩之が伝えたと『日本書紀』に記される仮面の音楽劇で、獅子や力士、鳥の頭をした迦楼羅、酔って千鳥足になる胡人の王(酔胡王)などが登場する。面は桐や乾漆で作られ、頭からすっぽりかぶる大きなものだ。正倉院と東大寺に伝わる伎楽面は200面を超え、そのうち正倉院のものは171面にのぼる。752年の大仏開眼の法会で使われたと記された面もあり、楽器の中にも、この盛大な儀式で演奏されたとみられるものがある。伎楽そのものは後に廃れ、大陸でも演じられなくなった。どんな音楽だったのかはほとんど分からず、面だけが形を伝えている。

これらの宝物は、なぜ1200年以上も残ったのか。一つには、倉の扉が天皇の命によって封じられていたことがある。勅封と呼ばれ、天皇の許しがなければ開けることができない。この決まりが、時代を通じて守られた。二つ目に、建物が焼けなかった。東大寺は1180年に平重衡の兵火で大仏殿まで焼け落ち(その後の東大寺の再建)、1567年にも戦の中で再び大仏殿を失ったが、正倉院は二度とも火を免れた。三つ目に、倉と唐櫃の中で、湿度の変化が穏やかに保たれた。

平螺鈿背八角鏡
平螺鈿背八角鏡Wikimedia Commons Imperial Agency, Japan · Public domain

もっとも、宝物はまったく手つかずだったわけではない。764年の藤原仲麻呂の乱の際には、献物帳に載る武器や武具が持ち出された。献物帳には、そのことを示す書き込みが残っている。薬も、献納のときの願いどおり、たびたび取り出されて病人に施された。

明治の初め、正倉院は東大寺の手を離れて政府の管理に移り、いまは宮内庁が守っている。宝物の総数はおよそ9000点。毎年秋に宝庫を開けて点検し、そのうちの一部を奈良国立博物館で公開する正倉院展は、1946年に始まった。宝物の中には、ササン朝ペルシアのカットガラスと同じ形の白瑠璃碗、唐の工房で作られた鏡や染織、インドや西アジアの意匠、そして日本で作られた品が並ぶ。そのため、正倉院はしばしば「シルクロードの終着点」と呼ばれる。

金銀山水八卦背八角鏡
金銀山水八卦背八角鏡Wikimedia Commons Imperial Agency · Public domain

ただ、正確に言えば、正倉院は交易の終点だったというより、8世紀のユーラシアの品々がひとまとまりのまま、ほぼ無傷で残った、世界でただ一つの場所である。唐の長安やペルシアの都にもっと多くの楽器があったことは疑いないが、その土地ではすべて失われた。五絃琵琶の音色を、私たちは原産の地ではなく、奈良の倉の中に探すことになる。琵琶という楽器は日本でその後も弾き継がれ、のちには『平家物語』と琵琶法師として語りの伴奏にもなった。宮廷の音楽を司る役所として置かれた雅楽寮で奏でられた音楽の姿を、これらの楽器は形として伝えている。

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