概要
疫病と反乱と飢饉の中で都を三度動かし、国ごとに国分寺を建てさせ、大仏を発願した。「朕は三宝の奴」と言った。出家した最初の天皇。遺品が正倉院に残った。
所属
日本関わったできごと(1)
東大寺大仏の開眼AD752年 · 発願本文
首皇子。 文武天皇と藤原宮子の子。 宮子は不比等の娘。 生まれてすぐ父が死に、 祖母の元明、叔母の元正が繋いだ。 724年、24歳で即位。 妻は光明子。不比等の娘。 叔母にあたる。
727年、皇子が生まれ、 生後1か月で皇太子にし、 翌年死んだ。 729年、長屋王。 「皇太子を呪った」として、 家を囲まれ、自害した。 光明子が皇后になった。 臣下の娘で初めて。
735年、天然痘。 737年、藤原四兄弟が全員死んだ。 政権の中心が消えた。 740年、藤原広嗣の乱。 九州で。 聖武は東国へ「行幸」した。 伊賀、伊勢、美濃、近江、 恭仁京へ。 5年、都が定まらなかった。 恭仁、紫香楽、難波、 そして平城京へ戻った。 「彷徨五年」。
741年、国分寺・国分尼寺の詔。 743年、大仏の詔。 「朕は薄徳で、この大願を成しがたい。 だが、一枝の草、一把の土を持って助けようとする者があれば、許せ」。 紫香楽で始め、 平城京で作り直した。 749年、陸奥から金が出た。 聖武は東大寺で「三宝の奴」と称した。 仏の奴隷。 出家した。 勝満。 娘の孝謙に譲位。 天皇で最初の出家。
752年、開眼。 インドの僧菩提僊那が筆を執り、 その筆に長い紐をつけて、 聖武と光明と孝謙が握った。 紐は正倉院にある。
756年5月、死んだ。56歳。 49日、 光明皇后は遺品を東大寺に納めた。 650点。 『国家珍宝帳』。 それが正倉院の北倉。