イリパの戦い
概要
スキピオがスペインでカルタゴの主力を破り、スペインからカルタゴが消えた。前日まで弱い兵を中央に置いて見せ、当日に入れ替えた。ハンニバルの戦い方を、ハンニバルの敵が覚えた。
場所
37.52°N -5.98°E · スペイン・セビリャ近郊
関わった人(1)
大スキピオBC236年–BC183年 · 総指揮本文
紀元前218年に始まった第二次ポエニ戦争で、ローマはハンニバルにイタリアの奥深くまで攻め込まれ、紀元前216年のカンナエの戦いで壊滅的な敗北を喫した。それでもローマは、イタリアで持ちこたえながら、カルタゴの兵と銀の供給源であるイベリア半島(スペイン)に軍を送り続けた。紀元前211年、スペインで戦っていた二人の将軍、プブリウス・スキピオとグナエウス・スキピオの兄弟が、相次いで戦死する。
翌年、死んだプブリウスの息子で、まだ25歳ほどの大スキピオが、スペインの総指揮を任された。執政官にも法務官にもなったことのない若者に軍を委ねるのは異例のことだった。紀元前209年、スキピオはカルタゴのスペインでの本拠地カルタゴ・ノウァ(いまのカルタヘナ)を急襲し、一日で落とした。干潮で浅くなった潟を兵に渡らせ、守りの手薄な側の城壁を突いたと伝えられる。翌年には、バエクラでハンニバルの弟ハスドルバル・バルカを破った。ただハスドルバルは軍の多くを連れて戦場を離れ、兄を助けるためにアルプスを越えてイタリアへ向かい、紀元前207年にメタウルス川の戦いで敗れて死ぬ。

スペインに残ったカルタゴの将軍たちは、最後の大軍を集めた。ギスコの子のハスドルバルと、ハンニバルのもう一人の弟マゴである。紀元前206年、両軍はいまのセビリャの北、グアダルキビル川のほとりのイリパで向かい合った。カルタゴ軍の数を、ギリシアの歴史家ポリュビオスは歩兵7万、ローマの歴史家リウィウスは歩兵5万ほどと伝え、ほかに騎兵と戦象32頭がいた。スキピオの軍は4万5千ほどで、その半分近くはあてにならないイベリア人の同盟軍だった。
両軍は数日のあいだ、陣の前に兵を並べては、戦わずに引き上げることを繰り返した。カルタゴ軍はいつも遅く陣を出て、中央に最も強いアフリカ人の歩兵を、両翼にイベリア人の兵と象を置いた。スキピオもいつも、中央にローマの軍団を、両翼にイベリア人の同盟軍を置いた。敵にそれを見慣れさせるためだった。
決戦の日、スキピオは夜明け前に兵に朝食を取らせ、夜が明けるとすぐに騎兵と軽装の兵を敵の陣へ突っかけさせた。カルタゴ軍は食事をする間もなく、慌てていつもの並びで陣を出た。ところがこの朝、スキピオは並びを入れ替えていた。中央にイベリア人の同盟軍を置き、両翼に精鋭のローマの軍団を置いたのである。
スキピオは中央の弱い兵をゆっくりと進ませ、敵の強い中央とはぶつけなかった。その間に、両翼の軍団を斜めに大きく前へ回り込ませ、カルタゴ軍の両翼の弱いイベリア人と象に襲いかからせた。驚いた象は向きを変えて味方の列を踏み荒らした。カルタゴ軍の中央のアフリカ人の精鋭は、正面の敵が攻めてこないため動くに動けず、そのあいだに両翼が崩れていった。昼を過ぎ、暑さと空腹で疲れきったカルタゴ軍は、ついに崩れて陣へ逃げ込んだ。激しい雨が降り出し、ローマ軍の追撃はいったん止まった。
その夜から、カルタゴ軍のイベリア人の兵は次々に去った。ハスドルバルは残った6千ほどの兵とともに逃げ、海岸のガデス(いまのカディス)から船でアフリカへ渡った。マゴもやがてスペインを離れ、地中海のバレアレス諸島を経てイタリアへ向かった。メノルカ島の港町マオンの名は、このマゴにちなむという言い伝えがある。同じ年、ガデスもローマに降り、スペインからカルタゴの勢力は消えた。
イリパの戦いは、カンナエの戦いと並べて語られることが多い。カンナエでハンニバルは、わざと中央を弱くし、強い両翼で敵を包み込んだ。スキピオはその戦い方を学び、自分なりに作り変えて使った。敵に見慣れた並びを見せておいて、当日に入れ替える、という工夫も加えた。ハンニバルの戦い方を、ハンニバルの敵が覚えたのである。
勝利の後、スキピオはアフリカへ攻め込む準備を始めた。北アフリカのヌミディアの王シュファクスのもとを自ら訪ねたとき、敗れてアフリカに戻っていたハスドルバルもちょうど同じ宮廷に来ており、二人は王の招きで同じ食卓についたと、リウィウスは伝えている。のちにスキピオは、もう一人のヌミディアの王子マシニッサを味方に引き入れる。
紀元前205年、スキピオは執政官となり、アフリカへの遠征を求めた。老将ファビウス・マクシムスは、ハンニバルがまだイタリアにいるのに軍を外へ出すのは危ういと強く反対し、元老院はシチリアの指揮権だけを与えた。スキピオは、カンナエの敗戦の罰としてシチリアに留め置かれていた兵たちを鍛え直し、志願兵を加えて軍を整えた。紀元前204年、彼はアフリカへ渡り、2年後のザマの戦いでハンニバルその人を破ることになる。