概要
漂流民を送り届けに来た外国船を砲撃した事件のあと、蘭学を学ぶ人びとの集まりにいた渡辺崋山と高野長英は、それぞれ文章を書き、打ち払いの方針を批判した。外国の事情を知る者として、このままでは危ういと考えたのである。1839年、幕府は二人を捕らえ、崋山は国許で蟄居となり、のちに自ら命を絶った。長英は牢に入れられ、火事に乗じて逃げたが、潜伏の末に捕り手に囲まれて死んだ。外の情報を伝える者が、罰せられた。
場所
江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
本文
打ち払いへの批判。
漂流民を送り届けに来た外国船を砲撃した事件。
(1)蘭学を学ぶ人びとの集まりにいた渡辺崋山と高野長英。
(2)そして、それぞれ文章を書き、打ち払いの方針を批判した。
(3)さらに、外国の事情を知る者として、このままでは危ういと考えた。
1839年。
幕府は二人を捕らえた。
(1)崋山は国許で蟄居となった。
(2)そして、のちに自ら命を絶った。
逃げた長英。
長英は牢に入れられた。
(1)火事に乗じて逃げた。
(2)そして、顔を薬品で焼いて変え、潜伏したと伝えられる。
(3)さらに、潜伏の末に捕り手に囲まれて死んだ。
残ること。
外の情報を伝える者が、罰せられた。
異国船打払令の誤りを、正しく指摘した者のほうが罪になった。