概要
十九世紀に入ると、ロシアやイギリスやアメリカの船が日本の近くに現れ、水や薪を求めるようになった。1825年、幕府は、外国の船を見つけたら、理由を問わず砲撃して追い払え、と命じる。1837年には、日本人の漂流民を送り届けに来たアメリカの商船が、浦賀と鹿児島で砲撃された。1842年、清がアヘン戦争でイギリスに敗れたと知ると、幕府は慌てて、水と薪は与えて帰らせる方針に改めた。外の世界の力を知らないまま、強い命令だけが出されていた。
場所
江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
本文
近づく船。
十九世紀に入ると。
(1)ロシアやイギリスやアメリカの船が、日本の近くに現れた。
(2)そして、水や薪を求めるようになった。
1825年。
幕府は命じた。
外国の船を見つけたら、理由を問わず砲撃して追い払え。
撃たれた商船。
1837年。
(1)日本人の漂流民を送り届けに来たアメリカの商船。
(2)そして、浦賀と鹿児島で砲撃された。
(3)さらに、その方針を批判した者が、蛮社の獄で罰せられる。
残ること。
1842年、清がアヘン戦争で敗れたと知った。
(1)幕府は慌てて、水と薪は与えて帰らせる方針に改めた。
(2)そして、外の世界の力を知らないまま、強い命令だけが出されていた。
(3)さらに、十一年後、黒船来航が来る。