できごと

アウグスティヌスのケント布教

Augustine's mission to Kent
AD597年
重要度 4
北極圏の海獣狩猟民フィン・ウゴル系タイガの狩猟採集民ササン朝ペルシア東ローマ帝国サーミフランク王国西ゴート王国サクソン人ブルグント族SvevesAnglo-Saxonsテューリンゲン族西ローマ帝国BasksAD597年カンタベリー
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD597年の版図を描いています(14勢力)。

概要

グレゴリウス1世が送った40人の修道士が、ケント王エゼルベルトを改宗させた。王妃はすでにフランクのキリスト教徒だった。カンタベリーに司教座が置かれ、いまもイングランド国教会の首座になる。

場所

カンタベリー
51.28°N 1.08°E · イングランド

関わった人(1)

グレゴリウス1世AD540年頃–AD604年3月12日 · 送った教皇

本文

ローマの支配が終わったあと、ブリテン島の東と南には、海の向こうからアングル人やサクソン人が移り住み、いくつもの王国を作っていた(アングロ・サクソンのブリテン移住)。彼らは北欧の神々を祀る人々で、それより前からいたブリトン人のキリスト教は、西のウェールズなどに押しやられていた。

8世紀の修道士ベーダは、ベーダ『イングランド教会史』に一つの話を書き残している。のちの教皇グレゴリウス1世がまだ修道士だったころ、ローマの市場で、金髪で色白の少年たちが売られているのを見た。どこの者かと尋ねるとアングル人だと言う。グレゴリウスは、アングル人ではなく天使(アンゲリ)だ、と言い、この民に福音を伝えたいと願った、という。本当にあったことかは分からないが、イングランドの人々が自分たちの改宗の始まりとして語り継いできた話である。

ベーダ『イングランド教会史』に関わる図版:Beda Petersburgiensis f3v
ベーダ『イングランド教会史』Wikimedia Commons Bede · Public domain

590年に教皇になったグレゴリウスは(グレゴリウス1世の即位)、596年、ローマの自分の修道院の院長だったアウグスティヌスに、40人ほどの修道士をつけてブリテン島へ送り出した。一行はガリアまで来たところで、言葉も通じない野蛮な土地への旅を恐れ、アウグスティヌスをローマへ戻らせて取りやめを願った。グレゴリウスは、始めたことは最後までやり遂げよ、と励ます手紙を持たせて、ふたたび送り出した。この同名の人物は、北アフリカの神学者アウグスティヌスとは別人である。

597年、一行はケントのサネット島に上陸した。ケントは、大陸に最も近く、フランク王国と行き来の多い王国だった。王エゼルベルトの妃ベルタはパリのフランク王の娘で、すでにキリスト教徒であり、嫁ぐときに司教を一人伴っていた。カンタベリーの町はずれには、ローマの時代からの古い教会があり、ベルタはそこで祈っていたという。王は一行を、屋内ではなく野外で迎えた。屋内で会えば魔術にかけられるかもしれないと恐れたから、とベーダは書く。王は話を聞き、住まいと食べ物を与えて、カンタベリーでの布教を許した。

Ev Cambridge 129v
Wikimedia Commons Public domain

王自身もやがて洗礼を受けた。その年のクリスマスに1万人が洗礼を受けたと、グレゴリウスはアレクサンドリアの司教への手紙に書いている。アウグスティヌスはガリアのアルルで司教に叙され、カンタベリーに司教座を置いた。グレゴリウスは、ロンドンとヨークに二つの大司教座を置く構想を伝え、異教の神殿は壊さずに偶像だけを取り除いて教会に変えよ、祭りの日も祝いの形を変えて残せ、と柔らかな方針を書き送った。険しい山には一歩ずつ登るものだ、という言葉が残る。

エゼルベルトは、古英語で書かれた最初の法を定めた王としても知られる。教会の財産を守ることから始まるその法は、文字と法と教会が一緒に島へ入ってきたことを示している。アウグスティヌスは604年ごろに死んだ。ロンドンを大司教座にする計画は、ロンドンが一時異教に戻ったこともあって実らず、カンタベリーがイングランドの教会の首座のまま残った。

一方で、ウェールズにいたブリトン人の司教たちとの話し合いは物別れに終わった。復活祭の日の数え方などで、ローマの側と島に古くからある教会の習わしは合わなかった。北のアイルランド系の修道士たちの布教と、ローマから来た布教の流れが一つにまとまるのは、664年のウィットビー教会会議のことである。カンタベリーの大司教は、いまもイングランド国教会の首座であり、その座は、のちにトマス・ベケットの殺害の舞台にもなった。

トマス・ベケットの殺害に関わる図版:London. British Library, Cotton MS Claudius B II. f.341r (cropped)
トマス・ベケットの殺害Wikimedia Commons Unknown Miniaturist, English (active 1170s in Cirenchester) · Public domain

カンタベリーの大聖堂と、アウグスティヌスが建てた修道院の跡、ベルタが祈ったという聖マルティヌス教会は、まとめて世界遺産になっている。聖マルティヌス教会は、イングランドでいまも使われている最も古い教会とされる。

同じ時代のできごと

蘇我氏と物部氏の戦いAD587年隋の中国再統一AD589年西ゴートのカトリック改宗AD589年グレゴリウス1世の即位AD590年推古天皇の即位AD592年バーミヤンの大仏AD600年頃チャトランガとチェスの伝播AD600年頃冠位十二階AD603年(推古11年)
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