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Event / できごと

チャトランガとチェスの伝播

Chaturanga and the spread of chess
AD600年頃
重要度 5
古シベリアの狩猟採集民コイサン西アフリカの穀作農民ハザールチャーハマーナ朝アラカンドヴァーラヴァティーササン朝の従属国タイ系の諸王国真臘カナウジKamarupaヒンドゥーの諸王国ガウダ王国(シャシャーンカ)Pallavasチャールキヤ朝インドの影響下の小国群MazunシンハラHejaz扶南チャンパアクスム王国高句麗百済突厥ササン朝ペルシア東ローマ帝国AD600年頃パータリプトラ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD600年頃の版図を描いています(29勢力)

概要

インドで生まれた「四つの部分」という名の盤上遊戯。歩兵、騎兵、象、戦車、そして王と大臣。四つの兵科がそのまま駒になった。7世紀にペルシアへ渡ってシャトランジになり(王手を意味する「シャー・マート」が、チェックメイトの語源)、アラブ世界を経て、10世紀にヨーロッパへ。15世紀のヨーロッパで、大臣が最強の駒「クイーン」に変わった。同じ時期にイサベル女王がいたことと結びつける説がある。東へは、中国象棋、朝鮮のチャンギ、そして日本の将棋になった。

場所

パータリプトラ
25.61°N 85.14°E · インド・ビハール州パトナ

本文

**チャトランガ**。

サンスクリット語 **caturaṅga**——「**四つの部分(肢)**」。

古代インドの軍隊の、四つの兵科を指す語である。

- **歩兵**(padāti) - **騎兵**(aśva) - **戦象**(gaja) - **戦車**(ratha)

(『マハーバーラタ』に、この語が軍隊の意味で出てくる。)

そして、これがそのまま、**駒**になった。

歩兵 → **ポーン** 騎兵 → **ナイト** 象 → **ビショップ** 戦車 → **ルーク**

(英語の rook は、ペルシア語の rukh〈戦車〉から。ヨーロッパで意味が分からなくなり、「城(castle)」の姿になった。

bishop も同様である。象(アラビア語 al-fīl)が、ヨーロッパで司教になった。イタリアでは alfiere〈旗手〉、フランスでは fou〈道化〉、ロシアでは слон〈象〉——象のまま残った言語もある。)

そこに、**王**(rājā)と、**大臣**(mantrī)が加わる。

**起源**。

- 6世紀頃、**北インド**(グプタ朝の時代)とされる。 - 最古の明確な言及は、**7世紀**のサンスクリット文学。バーナバッタの『ハルシャチャリタ』(ハルシャ王の伝記)に、「**足のない者〈駒〉だけが戦い、王たちは戦わない**」という記述がある(平和な治世を讃える文脈で、戦争は盤の上にしかない、という意味)。 - ペルシアの叙事詩『シャー・ナーメ』に、インドの王がペルシアに盤を送り、その遊び方を当てられなければ貢納せよと挑んだ、という物語がある。

**西へ**。

**ペルシア**。**シャトランジ**(chatrang → shatranj)。

(ササン朝の時代、6〜7世紀。ペルシア語の文献『チャトラング・ナーマグ』に、その伝来が語られている。)

ここで、いくつかの語が生まれた。

- **シャー**(shāh)——王。 - **シャー・マート**(shāh māt)——「王が、**動けない/無力である**」。

(māt の意味については、アラビア語の「死んだ」と解する説と、ペルシア語の「途方に暮れた」と解する説がある。)

これが、**チェックメイト(checkmate)**の語源である。

そして、**チェック**(check)——王手。

(この語は、さらに広がった。「照合する」「阻止する」「小切手」。チェス盤の市松模様が「チェック柄」。会計の帳簿の格子〈exchequer、イギリスの財務省の語源〉。すべて、この盤に遡る。)

**アラブ世界**。

7世紀、イスラームの征服。シャトランジが、アラブ世界に入った。

(イスラーム法学者の間で、これが許されるかどうかが議論された。賭博を伴えば禁じられる。純粋な技の競技として認める見解が、多数になった。ただし、礼拝を怠るほど熱中することは非難された。)

アラブの棋士が、**理論書**を書いた。開局の定跡、詰めの問題(**マンスーバ**)。

(アッ=スーリー〈10世紀〉が、当時の最強の棋士とされ、カリフの相手を務めた。)

**ヨーロッパ**。

**10世紀頃**、二つの経路で入った。

- **イスラム支配下のスペイン**(アル=アンダルス)から。 - **ビザンツ**と、イタリアの交易から。

**11〜13世紀**、ヨーロッパ中に広がった。騎士の教養の一つになった。

(1283年、カスティーリャ王**アルフォンソ10世(賢王)**が、『**遊戯の書**』を編纂した。チェス、骰子、盤上遊戯の図解入りの写本。当時のヨーロッパのチェスの姿を知る、最も重要な史料である。)

**ルイス島のチェス駒**(12世紀。スコットランドのアウター・ヘブリディーズで発見)。セイウチの牙で彫られた、93個の駒。ノルウェー製とされる。

(**ルーク**が、盾を噛んでいる**ベルセルク**〈狂戦士〉の姿をしている。)

**大改革**。

**15世紀末**、ヨーロッパで、ルールが大きく変わった。

**(1)クイーンが、最強の駒になった**。

それまで、大臣(フェルス)は、**斜めに1マスしか動けない**、最も弱い駒だった。

それが、**縦横斜めに、何マスでも動ける**駒になった。

**(2)ビショップが、斜めに何マスでも動けるようになった**。

(それまでは、斜めに2マス跳ぶだけだった。)

**(3)ポーンの2マス前進**、そして**アンパッサン**、**キャスリング**。

**結果**——ゲームの速度が、**劇的に上がった**。

(それ以前のシャトランジは、駒の動きが遅く、一局に何時間もかかった。改革後、20手で決着することもある。)

この新しい形は、スペインで「**狂った女王のチェス**」(scacchi de la donna, o vero alla rabiosa)と呼ばれた。

**なぜ、女王が強くなったのか**。

歴史家マリリン・ヤロムが『**チェスの女王の誕生**』(2004年)で論じた説。

同じ時期に、ヨーロッパで**強力な女性の統治者**が現れていた。

- **カスティーリャのイサベル1世**(在位1474〜1504)。夫フェルナンドと共同統治し、実質的に主導した。グラナダを陥とし、コロンブスを送り出した。 - カタリーナ・スフォルツァ、マルガレーテ・フォン・エスターライヒ、そして後にエリザベス1世。

新しいルールを記述した最初期の書物の一つが、**1497年、スペイン**で出た(ルセナの本)。イサベルの時代である。

(この説は魅力的だが、直接の証拠はない。ルールの変更が、より単純に「ゲームを面白くするため」だった可能性も、当然ある。)

**東へ**。

**中国**——**象棋**(シャンチー)。

(駒を枡の中ではなく、**線の交点**に置く。盤の中央に「河」がある。「将」と「帥」が、宮(九宮)から出られない。**砲**という、他の系統にない駒がある〈間に一つ駒を挟んで飛ぶ〉。)

**朝鮮**——**チャンギ**。

**タイ**——**マークルック**。(初期の形をよく残しているとされる。)

**日本**——**将棋**。

**将棋の異例**。

日本の将棋は、この系統の中で、**唯一、決定的に異なる規則**を持つ。

**取った駒を、自分の駒として、盤に打てる**(持ち駒)。

(チェスも、象棋も、チャンギも、マークルックも、取った駒は盤から消える。)

**帰結**。

- 駒の総数が、**減らない**。 - だから、**終盤ほど、盤が複雑になる**。(チェスは、終盤に駒が減り、単純になる。) - **引き分けが、極端に少ない**。(プロの公式戦で、千日手と持将棋を合わせても、数%である。チェスのトップ棋士同士の対局は、半分以上が引き分けになる。) - そして、**局面の総数**が、桁違いに大きい。

(推定される局面数——チェス 10の47乗、将棋 10の69乗、囲碁 10の171乗。)

**現在**。

1997年、**ディープ・ブルー**が、世界チャンピオン**ガルリ・カスパロフ**を破った。

(当時、これは「人間の知性の敗北」として、広く報じられた。カスパロフは、後に、人と機械が協力する「アドバンスト・チェス」を提唱した。)

2017年、**アルファゼロ**。

ルールだけを与えられ、**自己対戦のみで**、数時間で、それまでの最強のプログラムを圧倒した。

(人間の棋譜を、一局も見ていない。そして、その指し手が「人間らしくない」と評された。長期的な代償を払って主導権を握る、という戦い方を好んだ。)

いま、チェスの世界チャンピオンより強いプログラムが、スマートフォンで動く。

それでも、チェスをする人の数は、減っていない。

(2020年、ネットフリックスのドラマと、パンデミックによる在宅で、オンラインのチェスの人口が急増した。)

1500年前に北インドで生まれた、四つの兵科を並べる遊びが、まだ遊ばれている。

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