『アーリヤバティーヤ』
概要
23歳の著者が、円周率を3.1416とし、日の出入りは天が回るのではなく地球が自転するからだと書いた。
場所
25.61°N 85.14°E · インド・ビハール州パトナ
関わった人(1)
アーリヤバタAD476年–AD550年頃 · 著者本文
499年、インドの天文学者アーリヤバタは、数学と天文学の要点を詩の形にまとめた書物を著した。自分の名を取って『アーリヤバティーヤ』と呼ばれる。書の中で彼は、この書を著したとき、カリの時代の始まりから3600年が過ぎ、自分は23歳だった、と記している。それが西暦499年にあたり、生まれは476年と分かる。
アーリヤバタが生きたのは、北インドを治めたグプタ朝(グプタ朝の黄金時代)の時代の終わりごろである。この時代、学問と文学が栄え、劇作家のカーリダーサが活躍した。アーリヤバタはクスマプラという地で書を著したと記しており、ガンジス川のほとりの古都パータリプトラ(いまのパトナ)のあたりと考えられている。近くのナーランダー(ナーランダー僧院の創建)の学問所と関わりがあったとする言い伝えもあるが、確かではない。

書は121の詩節でできている。インドでは、学問の知識を詩の形で覚え、師から弟子へ口で伝える伝統があった。そのため一つ一つの詩節は短く、非常に圧縮されていて、後の時代の注釈なしには読みにくい。アーリヤバタは、子音と母音の組み合わせで大きな数を表す独自の書き方も考え出し、天文の計算に使う長い数を短い詩に収めた。
数学の部分では、平方根や立方根の求め方、図形の面積、数列の和、一次の不定方程式の解き方などが扱われている。その中に円周率を示した一節がある。100に4を加えて8倍し、さらに62000を加えると、直径2万の円の円周の近い値になる、という。計算すると3.1416になる。アーリヤバタはこれを「近い値」とはっきり断っている。円周率が分数で正確に表せない数だと彼が気づいていたのかについては、研究者の間で議論がある。

天文学のために、彼は角度に応じた弦の半分の長さの表、いまでいう正弦の表も示した。インドで「弦」を意味した言葉が、アラビア語に移されて「入り江」と同じ綴りの語に変わり、それがラテン語に訳されて、英語のサイン(正弦)の語源になったといわれる。こうした計算は、インドで発達した、位取りによる数の書き方(十進法と位取りの記数法)に支えられていた。
天文学の部分で、アーリヤバタは大胆な考えを示した。星が東から西へ動いて見えるのは、天球が回っているからではなく、地球が回っているからだ、という。船に乗って進む人には、岸の動かない木々が後ろへ動いていくように見える。それと同じように、動かない星が西へ動いていくように見えるのだ、と彼はたとえた。
日食と月食についても、彼は影で説明した。月食は地球の影が月を覆うこと、日食は月が太陽を隠すことによる。当時のインドでは、ラーフという魔物が太陽や月を呑み込むことで食が起きると語られていたが、アーリヤバタはそれを持ち出さず、影の大きさから食の起きる時刻や長さを計算する方法を示した。月が自ら光るのではなく、太陽の光を受けて輝いていることも述べている。
その考えは、そのまま受け入れられたわけではない。7世紀の大学者ブラーマグプタ(ブラーマグプタ)は、アーリヤバタの計算の多くを用いながら、地球が回っているなら、鳥は巣に戻れず、高いところから落とした物は真下に落ちないはずだと論じて、自転の説を退けた。ブラーマグプタはまた、ゼロを数として扱う計算の規則を示したことで知られている(ブラーマグプタのゼロ)。後の注釈者の中には、アーリヤバタの詩節を、地球ではなく天が回るという意味に読み替えた者もいた。正しい説が、次の世代に受け継がれるとは限らなかった。
それでも、『アーリヤバティーヤ』はインドの天文学の重要な書として読まれ続け、多くの注釈が書かれた。インドの天文学は8世紀以降、アッバース朝のバグダードに伝わり(アッバース革命)、アラビア語に訳されて、イスラーム世界の学問の土台の一つとなる。1975年、インドが初めて打ち上げた人工衛星は「アーリヤバタ」と名づけられた。