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Person / 人

ブラーマグプタ

Brahmagupta
AD598年 – AD668年(享年70・推定)
グルジャラ王国重要度 5

概要

ラージャスターンのビッラマーラ。ウッジャインの天文台の長。30歳で『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(正しく確立されたブラフマーの教説)、25章、詩の形。ゼロと負の数の演算規則、二次方程式の解、円に内接する四辺形の面積の公式、ペル方程式、天文計算。773年、バグダードに伝わって『シンドヒンド』としてアラビア語に訳され、フワーリズミーが読んだ。

関わったできごと(1)

ブラーマグプタのゼロAD628年 · 書いた

本文

598年生まれ、と自分で書いている(『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』の中で、「シャカ暦550年、私は30歳でこの書を作った」)。父はジシュヌグプタ。ラージャスターンのビッラマーラ(いまのビンマール)の出身。グルジャラ・プラティーハーラ朝の王ヴャーグラムカの時代。

ウッジャイン。マールワの都で、インドの天文学の中心(本初子午線がここを通るとされた)。彼は、そこの天文台の長になった。

628年、『ブラーフマ・スプタ・シッダーンタ(正しく確立されたブラフマーの教説)』。24章(あるいは25章)、1008の詩節。サンスクリットの韻文。

前半は天文学。惑星の運動、日食と月食、惑星の合、月の満ち欠け、天球儀。後半に数学が入る。第12章「算術(ガニタ)」、第18章「クッタカ(粉砕器)」=代数。

ゼロと負の数の規則。「無(シューニヤ)」「財産(ダナ)」「借金(リナ)」。

二次方程式。ax²+bx=cの解を、いまと同じ形の公式で与えた。負の根も認めた(「借金の根もある」)。ヨーロッパでは17世紀まで、負の解は「偽の根」として捨てられた。

ブラーマグプタの公式。円に内接する四辺形の、4辺の長さから面積を出す。S=√((s−a)(s−b)(s−c)(s−d))。ヘロンの三角形の公式の一般化。

ペル方程式。x²−Ny²=1。彼は、N=83とN=92の場合を解いた(92の最小解は x=1151, y=120。試行錯誤では見つからない)。「1年でこの問題を解ける者は、数学者である」と挑戦の形で書いた。彼の方法(サマーサ・バーヴァナー、合成の原理)は、後のバースカラ2世のチャクラヴァーラ法につながった。ヨーロッパでは、フェルマーが1657年に同じ問題を挑戦として出し、ブラウンカーとウォリスが解き、オイラーが一般化した。1000年遅れて。

補間法。第2階差を使う補間の公式(ニュートン・スターリングの公式の特殊な場合に相当する)を、正弦の表を作るために使った。

天文。地球は球で、周囲は5000ヨージャナ(約3万6000キロ。実際は4万キロ)。重力に近い考えを書いた。「物体は地球に落ちる。それは、地球が物を引くのが、その本性だからだ。水が流れるのが水の本性であるように」。

一方、アーリヤバタ(476〜550年)が「地球が自転している」と書いたのを、否定した。「もし地球が回っているなら、旗も鳥も、どうやってついて行くのか」。彼は、先行者を、詩の中で名指しで、厳しく批判した(当時のインドの学問の作法)。

665年、『カンダ・カーディヤカ』。実用の天文計算の便覧。

伝播。771年頃、シンドからの使節が、バグダードのカリフ・マンスールの宮廷に、インドの天文書を持って来た。ファザーリーがアラビア語に訳した。『シンドヒンド』。フワーリズミーがそれを使って『インドの数の計算について』を書き、それが12世紀にラテン語に訳されて、ヨーロッパに「アラビア数字」(実はインド数字)と、位取りと、ゼロが伝わった。

668年に死んだ、と推定される。それ以上のことは、分からない。