『アルマゲスト』

概要
地球を中心に、周転円を重ねて惑星の動きを計算する体系。1400年間、天文学の教科書であり続けた。間違っていたが、予測は当たった。
場所
31.20°N 29.92°E · エジプト
関わった人(1)
クラウディオス・プトレマイオスAD100年頃–AD170年頃 · 著者本文
2世紀のアレクサンドリアは、ローマ帝国の支配下にありながら、ギリシア語の学問の都であり続けていた。プトレマイオス朝の王たちが築いた図書館と学術の伝統(アレクサンドリアの図書館)のもとで、この町で天を観測し、計算を重ねた学者がクラウディオス・プトレマイオスである。生涯についてはほとんど分かっておらず、残された観測の記録から、127年から141年ごろにかけてアレクサンドリアで活動していたことが知られるだけだ。
その主著が、ギリシア語で『数学集成』と題された13巻の天文学書である。150年ごろに完成したとみられる。プトレマイオスはまず、天は球であり、地球も球で、宇宙の中心に静止している、という前提を、観測にもとづく理由とともに示す。そのうえで、太陽、月、五つの惑星の動きを、いくつかの円運動の組み合わせで表し、未来の位置を計算できる表と方法を与えた。

難しいのは惑星だった。夜空を見続けると、惑星はふだん星座の間を西から東へ進むが、ときに足を止め、しばらく逆向きに進み、また元の向きに戻る。また、進む速さも季節によって変わる。天体は完全な円を一定の速さで回るはず、というギリシア以来の考えを守りながら、この動きをどう説明するか。プトレマイオスは、先人たちの工夫を受け継ぎ、それを組み合わせて磨き上げた。
一つは周転円である。惑星は小さな円の上を回り、その小さな円の中心が、地球を囲む大きな円の上を回る。二つの回転が重なると、地球から見た惑星はときに後ろへ下がって見える。二つ目は、大きな円の中心を地球から少しずらすこと。三つ目がプトレマイオス独自の工夫で、「エカント(等化点)」と呼ばれる点を置き、そこから見たときに周転円の中心が一定の速さで回っているように見える、とした。これで速さの変化も表せる。理屈としては無理のある工夫だったが、計算の結果は観測とよく合った。

天文学の計算には、星の位置の基準が要る。プトレマイオスは、3世紀前のヒッパルコスの観測を引き継ぎ、48の星座に属する1000あまりの星について、位置と明るさを並べた星表を付けた。明るさを1等から6等に分ける方法も、この書物を通じて後世に伝わった。いま使われている88の星座のうち、北天の多くはここに挙げられた星座に由来している。
ローマ帝国の衰退とともに、ギリシア語の学問は西ヨーロッパで忘れられていったが、この書物はイスラーム世界で生き延びた。9世紀、アッバース朝のバグダードで何度もアラビア語に訳され(バグダードの知恵の館)、「最も偉大な書」を意味するアル・マジスティと呼ばれるようになる。イスラームの天文学者たちは観測を重ねてプトレマイオスの数値を改め、とくにエカントの不自然さを批判して、別の円運動の組み合わせを工夫した。13世紀のマラーガ天文台で生まれたそうした工夫の一部は、のちのコペルニクスの著作にもよく似た形で現れる。

12世紀、アラビア語の訳がスペインのトレドでラテン語に訳され、アル・マジスティの名は「アルマゲスト」としてヨーロッパに戻った。それから400年近く、この書物は大学で教えられる天文学の基本であり続けた。1543年にコペルニクスが太陽を中心とする体系を発表したときも、彼が使った道具は周転円であり、本の構成もアルマゲストにならっていた。しかも、コペルニクスの体系で計算した惑星の位置は、プトレマイオスのものより目に見えてよく当たったわけではなかった。予測の精度で決着がつくのは、17世紀初めにヨハネス・ケプラーが楕円の軌道を見いだしてからである(ケプラーの法則)。
アルマゲストは、宇宙の姿としては誤っていた。地球は中心ではなく、惑星は円を重ねて回ってもいない。それでも、観測にもとづいて数字で天体の未来の位置を予測し、その予測を観測で確かめて直していく、という天文学の方法は、この本によって形を与えられた。間違った模型でも、よく当たる予測はできる。そして、当たることと正しいことは別である。1400年にわたって使われたこの体系は、科学の模型とは何かを考えるときの、最も古くて大きな例になっている。