できごと

アプレイウス『黄金の驢馬』

The Golden Ass
AD170年頃
年に諸説あり重要度 4
アプレイウス『黄金の驢馬』に関わる図版:Apuleius1650
Apuleius1650 Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

概要

魔術に手を出した若者がロバになり、盗賊、粉屋、料理人、見世物を巡って、イシスに救われる。中に「クピドとプシュケ」。完全に残るラテン語の小説はこれだけ。作者は魔術を使って寡婦と結婚したと訴えられ、自分で弁護した。『弁明』。

場所

マダウロス
36.08°N 7.83°E · アルジェリア

関わった人(1)

アプレイウスAD124年頃–AD170年頃 · 著者

本文

作者アプレイウス自身は、この小説を『変身譚(メタモルフォセス)』と呼んでいた。『黄金の驢馬』という呼び名が記録に現れるのは、二百年あまり後のアウグスティヌスの『神の国』である。「黄金の」は「とびきり面白い」ほどの意味だったとみられている。全11巻。ラテン語で書かれた古代の小説のうち、最初から最後まで残っているのはこれだけで、もう一つの代表作ペトロニウスの『サテュリコン』は断片しか伝わらない。書かれた年ははっきりせず、170年頃とするのが通説だが、150年代から180年代まで幅をもって論じられている。

語り手はギリシアの若者ルキウス。商用で魔女の国として知られたテッサリアへ行き、ヒュパタの町で、けちな金持ちミロの家に泊まる。ミロの妻パンフィレは魔女で、夜になると軟膏を塗って梟に変じ、恋しい男のもとへ飛んでいく。魔術を見たくてたまらないルキウスは、女中のフォティスと恋仲になり、その軟膏を盗ませる。ところがフォティスが壺を取り違え、ルキウスは鳥ではなくロバになった。人間の心を持ったまま、口がきけない。元に戻るには薔薇の花を食べればよいと教えられるが、その夜のうちに盗賊が家を襲い、ルキウスは荷物運びのロバとして山の洞窟へ引かれていく。

ポンペイの壁画『アモルとプシュケ』(『黄金のロバ』より前の作)
ポンペイの壁画『アモルとプシュケ』(『黄金のロバ』より前の作)Wikimedia Commons Unknown artist Unknown artist · Public domain

洞窟には、婚礼の日にさらわれてきた娘カリテがいた。泣き続ける娘を慰めるため、盗賊の飯炊きの老婆が昔話を語る。これが第4巻から第6巻にまたがる「クピドとプシュケ」である。王の三人の娘のうち末娘プシュケは美しすぎて、人々が女神ヴェヌスを拝むのを忘れるほどだった。怒ったヴェヌスは息子クピドに、娘を卑しい男に恋させよと命じるが、クピドのほうが恋に落ちる。プシュケは見知らぬ宮殿に運ばれ、夫は夜にだけ訪れて「顔を見てはならない」と言う。姉たちにそそのかされた彼女がランプをかざすと、眠っていたのは美しい若い神だった。こぼれた油の熱さに目を覚ましたクピドは飛び去る。プシュケはヴェヌスに仕えて、混ざった穀物のより分け、金の羊毛、冥界の泉の水汲みという難題を課され、最後に冥界の女王から美しさを分けてもらう箱を持ち帰る途中で、禁を破って箱を開け、死のような眠りに落ちる。クピドが彼女を起こし、ユピテルの前で二人は正式に結ばれ、プシュケは神々の仲間に加えられる。生まれた娘の名はウォルプタス、すなわち「喜び」である。プシュケはギリシア語で「魂」を意味し、魂が愛を求めて試練を越える寓意として、古くから読まれてきた。

ロバのルキウスの遍歴はその後も続く。カリテの許婚が盗賊を退治しても、ロバは救われない。牧童にこき使われ、物乞いをして回る女神の祭司たちに買われ、粉屋の臼を回し、貧しい菜園の主に、兵士に、料理人と菓子職人の兄弟に渡り歩く。その道々で、姦通や殺人や魔術の小話がいくつも差しはさまれる。この挿話は「ミレトス風の話」と呼ばれた艶笑譚の伝統を引くもので、作品の大半は、いかがわしく可笑しい話の連続である。最後にルキウスはコリントスで、罪人の女と交わる見世物に出されることになり、その直前に逃げ出して、ケンクレアイの浜で眠りに落ちる。

アンソニー・ヴァン・ダイク『キューピッドとプシュケ』ケンジントン宮殿蔵
アンソニー・ヴァン・ダイク『キューピッドとプシュケ』ケンジントン宮殿蔵Wikimedia Commons Anthony van Dyck · Public domain

目を覚ますと、海から満月が昇っていた。最終の第11巻で、物語は急に調子を変える。女神イシスが現れ、自分は万物の母、自然の女主人、時のはじめ、神々の女王であると名乗り、明日の祭りで祭司の手にある薔薇を食べよと告げる。そのとおりにしたルキウスは人間に戻り、イシスの秘儀に入信し、のちにローマでオシリスの秘儀も受けて、女神に仕える者として生きることになる。そこで語り手は突然「マダウロスの男」と呼ばれる。ギリシアの若者だったはずのルキウスが、北アフリカの町マダウロス出身の作者と重なるのである。この最終巻を作者の宗教的な告白として読むか、それまでの話と同じく皮肉の利いた作り話として読むかで、研究者の意見はいまも分かれている。イシスの顕現の場面は、古代の秘儀宗教を内側から描いた数少ない証言として重んじられてきた。

筋の骨組みには先行作がある。ギリシア語の短い作品『ルキオス、またはロバ』がほぼ同じ話を伝えており、ルキアノスの作とされてきた。アプレイウスがこれを膨らませたのか、両方が失われたギリシア語の原作をもとにしたのかは、決着していない。ただ「クピドとプシュケ」とイシスの最終巻は、ギリシア語版には無い。

アントニオ・カノーヴァ『アモルの接吻で蘇るプシュケ(英語版)』ルーヴル美術館蔵
アントニオ・カノーヴァ『アモルの接吻で蘇るプシュケ(英語版)』ルーヴル美術館蔵Wikimedia Commons Jean-Pol GRANDMONT · CC BY 4.0

作者は北アフリカのヌミディアに生まれ、カルタゴとアテネで学んだ人である。裕福な寡婦と結婚した際、相手の親族から魔術で心をたぶらかしたと訴えられ、法廷で自分を弁護した。その弁論が『弁明』として残っている。魔術に手を出してロバになる若者の話を書いた男が、現実に魔術の罪で裁かれたことになる。

写本はほぼ一つの系統に頼っており、11世紀にモンテ・カッシーノ修道院で写されたものが元になった。14世紀にボッカッチョがこれを手ずから写して愛読し、『デカメロン』(『デカメロン』)に姦通の小話を二つ借りている。1469年にはローマで印刷された。「クピドとプシュケ」はルネサンス以降の画家と彫刻家の好む主題になり、ローマのヴィラ・ファルネジーナにはラファエロの工房による天井画が、ルーヴル美術館にはカノーヴァの彫刻がある。人がロバの頭をかぶせられるウィリアム・シェイクスピアの『夏の夜の夢』のボトムにも、この小説の影がみえると言われる。

『デカメロン』に関わる図版:Boccaccio - Decameron, MCCCCLXXXXII ad di XX de giugno - 3852856 Scan00015
『デカメロン』Wikimedia Commons Boccaccio, Giovanni · Public domain

マダウロスは、のちに若きアウグスティヌスが学んだ町でもあった。アウグスティヌスは同じヌミディアの出で、この郷土の先輩を魔術師として話題にしている。ローマ帝国のアフリカ属州で生まれた男が、ラテン語でローマ文学に残る唯一の完全な小説を書き、その最後を女神への祈りで閉じた。

同じ時代のできごと

『アルマゲスト』AD150年頃モンタノス派AD170年頃ユスティノスの殉教AD165年アントニヌスの疫病165年大秦王安敦の使者AD166年党錮の禁AD166年マルコマンニ戦争AD166年ガレノスの医学AD169年(皇帝の侍医になる)
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