人物

クラウディオス・プトレマイオス

Claudius Ptolemy
AD100年頃 – AD170年頃(享年70・推定)
ローマ重要度 4

概要

アレクサンドリアで天文・地理・光学・音楽を書いた。地球中心の宇宙と、経緯度を付けた世界地図。どちらも1400年使われ、どちらも間違っていた。

所属

ローマ

関わったできごと(1)

『アルマゲスト』AD150年頃 · 著者

本文

100年頃に生まれ、170年頃に亡くなったとされる。ローマ帝国の支配下にあったエジプトのアレクサンドリアで仕事をした。生涯についてはほとんど何も分からない。手がかりは著作の中に記された観測の日付で、それは127年から141年にわたる。皇帝ハドリアヌスとアントニヌス・ピウスの時代である。

1584年にパリで出版されたVrais portraits et vies des hommes illustrésに描かれたプトレマイオスの想像画。アンドレ・テヴェ(フランス語版)作。
1584年にパリで出版されたVrais portraits et vies des hommes illustrésに描かれたプトレマイオスの想像画。アンドレ・テヴェ(フランス語版)作。Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

名前のクラウディオスは、ローマの市民権を持つ家の出であることを示すとされる。プトレマイオスという名は、かつてエジプトを治めた王家(プトレマイオス1世)と同じだが、王家とは関係が無い。エジプトのギリシア系の人々に多い名前だった。

いちばん大きな仕事は、150年頃に書かれた天文学の書である。ギリシア語の題は「数学的な集成」という意味だったが、のちにアラビア語で「最も偉大な書」と呼ばれ、その呼び名がラテン語に移って『アルマゲスト』として知られるようになった。13巻からなり、太陽、月、5つの惑星の動きと、日食や月食を計算する方法を、観測と幾何学によって一つの体系にまとめている。

『アルマゲスト』に関わる図版:Claudius Ptolemaeus, Almagestum, 1515
『アルマゲスト』Wikimedia Commons Ptolemy · Public domain

前提にあったのは、地球が宇宙の中心に静止しているという考えだった。地球が動いていれば、空を飛ぶ鳥や雲は取り残されるはずだ、というのがその理由の一つである。そのうえで、惑星が時々逆向きに進んで見える動きを説明するため、大きな円の上をさらに小さな円が回るという仕組みを使った。さらに、円の中心から少しずれた点から見て一定の速さで回るという工夫を加え、観測によく合うようにした。この工夫は、天体は完全な円を一定の速さで回るという古代の原則から外れていたため、後の天文学者たちを悩ませた。

『アルマゲスト』には1000を超える星の表も含まれている。星々を48の星座に分けたその並べ方は、いま使われている星座の多くの元になった。

天動説にもとづく天球図
天動説にもとづく天球図Wikimedia Commons Jan van Loon · Public domain

この本は、300年近く前のヒッパルコスの観測と理論を土台にしている。プトレマイオス自身、ヒッパルコスを繰り返し称えている。ところが、星の表の位置には、自分で測ったのではなく、ヒッパルコスの表を年代の分だけずらして写したのではないかと疑われる偏りがある。観測の値が理論とあまりにもよく合いすぎている箇所もあり、都合のよい数字に直したのではないかという批判は17世紀からある。1970年代には、これを科学史上の大きな不正だと告発する本も出た。一方で、当時の観測の誤差を考えれば、よい値を選んで示すのは普通のことだったと擁護する研究者もいて、議論は決着していない。

二つ目の大きな仕事は『地理学』である。当時知られていた世界の、およそ8000の地名に、緯度と経度を付けて並べた。球である地球を平面の地図に描くための投影の方法も論じている。ただ、地球の大きさを実際より3割ほど小さく見積もり、アジアを東へ長く伸ばしすぎていた。少し前に地球の大きさを測ったエラトステネスの値より、小さい値を採ったのである。

プトレマイオスの地図(150年ころ)、15世紀の書写。図の欧州の北部部分には後代の知識が混入している。
プトレマイオスの地図(150年ころ)、15世紀の書写。図の欧州の北部部分には後代の知識が混入している。Wikimedia Commons Credited to Francesco di Antonio del Chierico · Public domain

『地理学』は中世のヨーロッパでは忘れられていたが、1400年代の初めにビザンツから伝わってラテン語に訳され、本の数字をもとに世界地図が描かれた。ヨーロッパから西へ進めばアジアは遠くないという見通しを、ほかの学者の説とともに支えたのがこの本だった。コロンブスが西回りの航海を構想したとき、頼りにした根拠の一つになっている。

ほかにも多くの書を残した。占星術を体系立てた『テトラビブロス』は、中世を通じて占星術の基本書になった。『光学』では、光が空気から水へ入るときにどれだけ曲がるかを、角度を変えて実際に測っている。『ハルモニア論』では、音階を数の比で論じた。どれも、それまでの知識を集め、整え、計算できる形にした本だった。

ラファエロ画「アテナイの学堂」の一部。天球儀を手にするヒッパルコスと王冠をかぶり地球儀を手にするプトレマイオス。
ラファエロ画「アテナイの学堂」の一部。天球儀を手にするヒッパルコスと王冠をかぶり地球儀を手にするプトレマイオス。Wikimedia Commons Raphael · Public domain

その天文学は、ローマが衰えた後、イスラーム世界に受け継がれた。アラビア語に訳され、バグダードやダマスクス、のちにはイランやサマルカンドの天文学者たちが観測で数値を改め、理論の矛盾を論じた。ヨーロッパには12世紀にラテン語訳で戻り、大学で教えられた。

1543年、コペルニクスが太陽を中心に置く体系を発表したが、その本も『アルマゲスト』の組み立て方をまねて書かれている。やがてティコ・ブラーエの精密な観測とヨハネス・ケプラーの楕円軌道によって、地球中心の宇宙は退けられた。

「占星学者、アレクサンドリアのクラウディオス・プトレマイオス」と題された16世紀の想像画
「占星学者、アレクサンドリアのクラウディオス・プトレマイオス」と題された16世紀の想像画Wikimedia Commons Theodor de Bry · Public domain

天動説は間違っていた。だが、その計算は1400年にわたって、暦を作り、日食を予言し、船の位置を知るのに使われ続けた。正しいことと、役に立つことは、別のことでもある。プトレマイオスの本は、そのことを長い歴史で示している。

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