ユリウス暦の施行
概要
季節から3か月ずれていた暦を、1年365.25日の太陽暦に作り直した。以後1600年以上使われる。
場所
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
関わった人(1)
ガイウス・ユリウス・カエサルBC100年7月12日(13日説あり)–BC44年3月15日 · 施行本文
紀元前46年のローマでは、1年が445日あった。暦を季節に合わせ直すため、ガイウス・ユリウス・カエサルが通常の閏月に加えて、さらに2つの月をこの年に差し込んだからである。後の時代の著述家は、この年を「混乱の年の最後」と呼んだ。翌紀元前45年の1月1日、新しい暦が始まった。のちにユリウス暦と呼ばれる、1年を365日と4分の1とする太陽暦である。
それまでのローマの暦は、月の満ち欠けにもとづく古い暦を手直ししたもので、1年は355日しかなかった。季節とのずれを埋めるため、数年に一度、2月の終わりに20日余りの閏月を入れることになっていた。ところが、いつ閏月を入れるかを決めるのは、神祇官と呼ばれる神官の団体だった。神祇官は政治家でもあり、味方の役人の任期を延ばすために閏月を入れ、政敵の任期を縮めるために入れない、ということが起きた。
前1世紀の内戦の混乱の中で、閏月の挿入はしばしば忘れられた。カエサル自身、紀元前63年から神祇官の長を務めていたが、ガリアでの戦争と内戦で、長くローマを離れていた。その結果、暦の上の日付は、実際の季節より2か月から3か月も先に進んでしまった。暦の上では春の祭りを祝っているのに、畑はまだ冬の景色だった。前49年のルビコン渡河も、暦の上では1月だが、季節では前年の12月頃だったとされる。

内戦に勝ったカエサルは、紀元前46年、エジプトから戻ると暦の改革に取りかかった。博物学者プリニウスによれば、助言したのはアレクサンドリアの天文学者ソシゲネスである。エジプトには、1年を365日とする暦が古くからあり、1年が実際には4分の1日ほど長いことも知られていた。カエサルは、エジプトで見たこの太陽暦の考え方を、ローマの月の名前と祭日の仕組みに組み合わせた。
新しい暦は、1年を365日とし、4年に一度、閏の日を1日加える。足りない10日は、各月に1日か2日ずつ割り振った。閏の日は、2月の24日にあたる日を2回数える形で入れられた。ラテン語でこれを「2度目の6日」と呼んだことから、いまも西洋の言葉には閏年を指すのにその名残を残すものがある。月ごとの日数は、おおむねこのときに決まり、いまの私たちの暦に引き継がれている。1月1日を年の初めとすることも、執政官の就任の日として前2世紀から行われていたものが、この暦とともに帝国の隅々まで広まった。中世のヨーロッパでは地域によって3月25日などを年の初めとする習慣も生まれたが、最後には1月1日に落ち着いている。
改革には、からかいもあった。プルタルコスによれば、ある人が、明日はこと座が昇る日だと言うと、キケロは、そうだろう、命令によってね、と答えたという。星の動きまで独裁官の命令で決まるのか、という皮肉である。
紀元前44年、カエサルがカエサル暗殺で倒れたあと、その功績をたたえて、彼の生まれた月であるクインティリス(5番目の月)がユリウスと改められた。英語の7月(July)はこの名に由来する。ところが神祇官たちは、4年ごとという決まりを、両端を数えて3年ごとと取り違え、閏の日を入れすぎた。数十年後、アウグストゥスが閏の日をしばらく入れないことで帳尻を合わせた。その功で、6番目の月セクスティリスがアウグストゥスと改められ、8月(August)の名が生まれた。アウグストゥスが自分の月の日数をユリウスの月と同じにするため、2月から1日奪ったという話がよく語られるが、これは中世の書物に出てくる作り話とされる。

ユリウス暦は、ローマ帝国の広がりとともに地中海世界の標準になった。帝国がキリスト教化すると、教会もこの暦を使った。325年のニケーア公会議の前後から、復活祭の日付を春分の日をもとに計算する方式が整えられていく。春分の日は、3月21日に置かれた。
だが、ユリウス暦の1年は、太陽の運行による実際の1年より、11分ほど長い。わずかな差だが、128年ほどで1日のずれになる。16世紀には、暦の上の3月21日と実際の春分のあいだに10日ほどの開きができ、復活祭の計算が狂っていた。1582年、ローマ教皇グレゴリウス13世は、10月4日の翌日を10月15日とし、400年に3回だけ閏年を省く新しい規則を定めた。グレゴリオ暦への改暦である。
新しい暦はすぐには広まらなかった。カトリックの国々は早く改めたが、プロテスタントの国々は教皇の暦に従うことをためらい、イギリスとその植民地が改めたのは1752年、ロシアは1918年になってからだった。ロシアの十月革命が、いまの暦では11月に起きているのはそのためである。日本が太陽暦に改めたのは1873年で、このときは初めからグレゴリオ暦を採った。
ユリウス暦は、いまも生きている。ギリシアやロシアなどの正教会の多くは、教会の祭日を今もユリウス暦で祝っており、ロシアの正教会のクリスマスはいまの暦の1月7日にあたる。毎日の暦の骨格、つまり12の月と、その日数と、4年に一度の閏年の考え方は、2000年以上前のこの改革で決まったものである。