アフガニスタン戦争
概要
同時多発テロから26日で、アメリカがタリバン政権を空爆した。二か月でカブールが落ちた。それから20年、アメリカで最も長い戦争になり、2021年に始めたときの相手に国を戻して終わった。
場所
34.53°N 69.17°E · アフガニスタン
本文
2001年9月11日、アメリカで9・11同時多発テロが起きた。旅客機を乗っ取ってニューヨークの世界貿易センタービルなどに突っ込ませたのは、ウサーマ・ビン・ラーディンの率いる国際テロ組織アルカイダだった。ビン・ラディンは、アフガニスタンを治めていたイスラーム主義の勢力タリバンにかくまわれ、そこを拠点にしていた。
アフガニスタンは、1979年に始まったソ連のアフガニスタン侵攻と、ソ連が去った後の内戦で、20年以上戦いが続いた国だった。その混乱の中から生まれたタリバンは、1996年に首都カブールを取り、イスラームの法の厳格な解釈で国を治めた。女性の教育や仕事を禁じ、音楽やテレビを禁じ、2001年3月には古い大仏の石像を爆破した。北部では、反タリバンの勢力の北部同盟がなお抵抗していたが、その指導者マスードは、9月11日の2日前にアルカイダの刺客に暗殺されていた。

9月20日、ブッシュ大統領は議会で演説し、タリバンにビン・ラディンらの引き渡しを求めた。タリバンは証拠を示せと応じ、引き渡さなかった。10月7日、テロから26日目に、アメリカはイギリスとともに空爆を始めた。「不朽の自由作戦」である。地上では、アメリカの中央情報局の要員と特殊部隊が北部同盟の兵とともに戦った。山がちな土地で、アメリカの兵士が馬に乗り、そこから空爆の目標を指示する光景も見られた。
タリバンの政権は、あっけなく崩れた。11月9日に北部の要衝マザーリシャリーフが落ち、13日には首都カブールが北部同盟の手に入った。タリバンの兵は夜のうちに町から消えていた。12月にはタリバンの本拠の南部カンダハールも落ちた。ビン・ラディンは東部の山岳地帯トラボラの洞窟に追い詰められたが、取り逃がされ、パキスタンへ逃れた。12月、ドイツのボンで各派が合意し、ハーミド・カルザイを長とする暫定政権ができた。国連の決議に基づいて、国際部隊がカブールの治安を受け持つことになった。
だが、アメリカの関心はすぐに別の場所へ移った。2003年、アメリカはイラク戦争を始め、兵と資金をそちらに注いだ。その間に、タリバンは国境の向こうのパキスタンで態勢を立て直し、2006年ごろから南部と東部で勢いを取り戻した。道ばたの爆弾と自爆攻撃が、外国の兵と市民の命を奪った。新しい政府は汚職がはびこり、地方では力を持たず、ケシの栽培と麻薬の取引が国の大きな収入源になった。
2009年、オバマ大統領は兵を増やし、アメリカ軍は一時10万人に達した。2011年5月、アメリカの特殊部隊はパキスタンの町アボッターバードの屋敷でビン・ラディンを殺害した(ビン・ラディンの殺害)。戦争の最初の目的は果たされたことになる。アメリカはその後、少しずつ兵を引き、2014年の末には戦闘の任務を終えて、アフガニスタンの軍と警察の訓練と支援に回った。だが、タリバンとの戦いは終わらなかった。
2020年2月、トランプ政権はカタールのドーハでタリバンと合意を結んだ。タリバンがアルカイダなどのテロ組織に国を使わせないことと引き換えに、アメリカ軍は14か月で撤退する。アフガニスタンの政府は、この交渉の席にいなかった。2021年4月、バイデン大統領は9月11日までに撤退を終えると発表した。アメリカ軍が引き始めると、タリバンは一気に攻勢をかけ、地方の町を次々に取った。アメリカが20年かけて育てたはずの政府軍は、多くの場所で戦わずに崩れた。
8月15日、タリバンはカブールに入り、ガニ大統領は国外へ逃げた(タリバンの復権)。空港には国を出ようとする人々が殺到し、飛び立つアメリカの輸送機にしがみついて落ちる人の姿が世界に流れた。空港の近くでは自爆テロが起き、アメリカ兵13人と多くのアフガニスタンの人々が死んだ。8月30日、最後のアメリカ兵が去り、アメリカで最も長い戦争は、始めたときの相手に国を戻して終わった。
ブラウン大学の研究所の推計では、この戦争でアメリカ兵は約2400人、アフガニスタンの軍と警察は6万6000人以上、民間人は4万6000人以上が死に、アメリカの使った費用は2兆ドルを超えた。2019年、新聞のワシントン・ポストは、政府の内部の聞き取りの記録を公開した。その中で、戦争を指揮した将軍の一人は、我々はアフガニスタンについて根本的な理解を欠いていた、自分たちが何をしているのか分かっていなかった、と語っていた。

この20年の間に、カブールでは女の子たちが学校に通い、大学で学び、医者や記者や議員になる女性も現れた。タリバンが戻ると、女の子が中学校から上へ進むことは禁じられ、女性は多くの仕事から締め出された。戦争の間に生まれ、自由を知って育った世代が、今その国に生きている。